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できることなら8月の第1週の週末に日本へ行くことができればいいと思っている。日本高校
野球全国選手権大会、いわゆる甲子園大会を見たいからだ。その熱い夏、照りつける太陽
よりもっと熱い熱気がその中にある。兵庫の甲子園球場で直接その熱気を感じればゾクッと
するはずだ。それが無理なら高校野球に注がれる彼らの情熱でも近くで見たい。新聞や
テレビ、また、会った人との対話からあふれる多くのエピソードを共有すること。そして、その
高校野球が与える意味と価値が、単純に“日本の高校野球のチャンピオンを決めること”以上で
あることを知ること。それも有益なようだ。
野球場で行われる“甲子園”のシナリオはこうだ。選手たちは野球をする。彼らの背番号は1番
から9番まで。その背番号の上に選手の名前は“当然”ない。甲子園の伝統と同時に規律だ。
彼らにはひたすら郷土の名誉をかけた学校名だけが胸に刻まれている。観衆席には両校の
応援団と在校生・同窓がぎっしり並ぶ。彼らは最初から最後までまじめに応援をする。勝負が
傾いてもその時間が彼らにとって最も大事な時間であるかのように、真剣さには少しの乱れもない。
試合が終われば勝った学校の校歌が流れる。生徒たちが一列に並んでスコアボード横の学校の
旗に向かって不動の姿勢を取る。校歌について歌う彼らの目は誰より誇らしげだ。学校の名誉を
輝かせ、故郷の誇らしい一員となって、誰より堂々と胸を張る。校歌が終われば彼らは応援団に
向かって走っていってあいさつをする。観衆席からは熱い拍手が返ってくる。
その時間に負けたチームは、装備をまとめて退場の準備を急ぐ。応援団のところに駆け付けて
あいさつをし、拍手を返してもらうのは同じだが、彼らに校歌セレモニーはない。代わりに彼らは
涙を見せながら甲子園のグラウンドの土を袋に詰める。以前、彼らが土を詰める袋に「青春」
という鮮かな2文字が刻まれているのを見て「あ!」と短く声を上げたことがある。牛歩ミン・
テウォンが『青春礼賛』で「愛の草が生え、理想の花が咲き、希望の夕焼けが広がり、
悦楽の鳥が鳴く」と表現したその大切な時代、青春の片隅に甲子園の思い出をおさめることは
どれほど大きな意味か。
甲子園を「野球の試合以上の何か」にする力は何か。その中に夢と伝統というスポーツ最高の
価値が秘められているからだ。ソウル大学カン・ジュンホ教授は、スポーツが与えることができる
価値の4段階を「楽しみ→感動→アイデンティティ→夢/伝統」の順序に分類したことがある。
甲子園にはその4段階のすべてがある。スポーツが与えることのできる価値のすべてのものが
秘められているから甲子園はスポーツの“名品”と言える。
我が国で野球の春はプロより高校野球に先に訪れる。すなわち3月になれば全国大会があり、
2月にはその大会のための各地域の予選が始まる。ところが韓国の高校野球からはいつからか
感動もアイデンティティも、夢も伝統もどんどん消えている。なんとか少しの楽しみだけが残って
いる。今の構造では改善の余地さえない。韓国の高校選手たちが気の毒だ。その青春に夢と
伝統を見出す努力が必要だ。すぐ隣の日本の甲子園が妬ましくても!
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★1 2009/01/18(日) 20:30:59
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