09/01/15 16:34:06 XsPSmsob
対馬の悲劇として忘れてならないのは、元寇です。鎌倉時代、中国を支配した元のフビライに
入貢を求められた北条執権政権はこれを断りました。怒ったフビライは、1274年(文永の役
)と1281年(弘安の役)の二回にわたり、大軍をもって日本に侵攻しました。
文永の役では、9百隻あまりの軍船に乗った2万5千人の元・高麗の連合軍が海峡を越え、対馬に襲来。
元・高麗軍は島民の男をことごとく殺戮し、女・子供は捕らえて手の平に穴をあけ、そこに綱を通して
矢除けのため船の側面につるした。元・高麗軍の容赦ない殺戮は、対馬の人々に根深い怨念を残した。
日本に残る歴史資料です。