09/01/10 02:36:26 5a/l758B BE:753888454-2BP(32)
もう一つの訳、出来ました。
いくつか不明な略語はそのままにしておきました、ご了承ください。
「なぜ、私たちはこんなにも無力なのでしょう? 考え、そして行動してください」
─ 収監されたHebei Spirit号の船員の、疲れ果てた家族からの訴え ─
2007年12月7日、あの不幸な日から現在までの出来事と、その間の多くの組織による努力と成果が時系列的に整理されています。
2007年12月7日はHebei Spirit号とJasprit Chawla船長、Chetan Syam一等航海士、そして全乗組員にとって不幸な日となった。
1.サムスン重工のクレーン艀が船に衝突し、3箇所の原油タンクに損害を与え、流出を引き起こした。
この事故はタンカーが安全な泊地に錨泊している最中に起きた。タグボートがクレーン艀を曳航している時、
ロープの一つが切れ、艀は完全にコントロールを失い、不幸な犠牲となったHebei Spirit号に衝突した。
2.この日はまた、韓国泰安の港町にとっても不幸な日となった。原油流出による海洋汚染で、海の生態系や海岸が被害を被ったからだ。
2007年12月7日、世界中からの抗議とIMOの仲裁にもかかわらず、船長と一等航海士は拘禁された。
【2007年12月7日-2008年6月23日:瑞山地裁での法廷審問】
航海士たちは、韓国に引き続き拘留された。
2008年6月23日、地裁は二人に完全なる無罪判決を下した。しかし、彼らは帰国を許されなかった。
事件は高裁に上告され、航海士たちに対する不当拘禁は続いた。
【2008年6月23日-2008年12月10日:大田高裁での法廷審問】
検察とサムスン重工は連帯して地裁判決に対する上告を行った。
船長と一等航海士を韓国に不当拘禁したまま、大田高裁での審問は続けられた。
【2008年12月10日:高裁判決】
高裁は航海士たちに有罪判決を下し、その後彼らは手錠を嵌められ、公道を長い距離歩かせられ、辱めを受けた。
(これは特に先進国において、重犯罪者ですら受けない扱いである)
推測するに、これは保険会社から保険金を受け取ったにもかかわらず、賠償しようとしないサムスンに対して抗議に集まった地元の市民の
不満をそらそうとして行ったと思われる。
世界はこれに衝撃を受け、暴力的な抗議行動が続けて行われた。
(続く)