09/01/08 22:55:21
「一八九五」という映画が台湾でロングラン上映されている。タイトルは、日清戦争後の下関条約で、台湾が
日本に割譲された年を示す。台湾の客家(はっか、漢民族の一集団)の義士による抗日闘争を描いた歴史
作品で観客の評判も上々という。台湾の「抗日映画」とはどんなものか、気になって映画館に足を運んだ。
「敵であった日本人をなぜこんなふうに描けるのか」。鑑賞後、不思議な感覚にとらわれた。
日本統治開始時、台湾住民の一部が蜂起し、激しい武力衝突が起きた。映画では、皇族出身の師団長、
北白川宮能久(よしひさ)親王と、軍医として随行した森鴎外が、民間の犠牲者が出たことに心を痛め、
どうすれば統治移行の任務を円滑に進められるか苦悩する様子が細かく描写されていた。
以前、他のアジアの抗日映画で見た、横暴な日本人像とは全く違っていた。
昨年、台湾映画史上最大のヒット作となった「海角7号」も、敗戦で引き揚げる日本人を心の通う人間として
描いており、それが台湾の観客に受け入れられていることが印象的だった。
台湾に暮らして1年5カ月、あらためて感じるのは、ここが多言語・多文化社会であることだ。14民族が認定
された先住民のほか、人口の大多数を占める漢民族も福建省南部をルーツとするホーロー人、別集団の
客家人、戦後大陸から渡ってきた外省人がおり、それぞれ母語が異なる。
台北市の地下鉄に乗ると、公用語の中国語(北京語)以外に、台湾語、客家語、英語でアナウンスがある。
日本統治下に教育を受けた世代は日本語を話す人も多く、日本の商品や流行文化の影響でテレビCM
でも頻繁に日本語が流れてくる。
昨年秋から冬にかけて、連載「遥(はる)かなニッポン」取材のため、東台湾を歩いた。花蓮県の旧日本人
移民村・豊田村では、40代の郷土史研究家が日本人の残した神社や農家の跡を案内しながら、こう語った。
「この地にはもともと先住民が暮らし、後にわれわれ漢民族も暮らすようになった。最近は東南アジア出身
の花嫁も増えている。かつて日本人が汗を流して農地を開墾したことも、古里の大切な歴史だ」
昨年5月に発足した馬英九政権は、中国との関係緊密化を急速に進めている。だが、多様な文化、価値観
の存在を認め、日本統治時代を含む歴史を複眼的に評価できる台湾社会の特色は失わないでほしい。
九州ほどの島に2300万人が暮らす台湾を、今年もしっかりと見つめていきたい。
ソース:=2009/01/08付 西日本新聞朝刊= 「多様な視点認める社会」
URLリンク(nishinippon.co.jp)