09/01/08 18:36:55
(>>239の続き)
「活発だった関係官庁の連帯や売春街への助力はどこがしていたのか、という質問には韓国政府と米軍の
両方だと答えます。」と1997年に”Sex Among Allies.”を執筆した学者のKatharine H. S. Moonは言う。
韓国の女性部(盧武鉉政権下で発足した、男女平等実現のための専門部署で女性問題を扱う)は、この件に
ついてのコメントを差し控えている。ソウルにあるアメリカ軍司令部も同じくだが”人身売買と売春などの非合法
活動は容赦しないか、または支持しない”との一般論では返答してきている。
ニューヨークタイムズでは米軍基地近くの売春宿で働いていた8人の女性にインタビューを行った。その結果、
韓国とアメリカの記録文章を再検討することになった。 時の流れの中では、ほとんど断片的であると言えるが
記録文章は女性らの主張の多くを何らかの形で補っていた。女性らはこの習慣は何10年にも渡り続いていた
と主張している。
ある意味、女性の主張は驚くべきものではない。何十年もの間、売春が不法である韓国が米軍基地の近くで
売春を許可していたのは明らかであるからだ。世界中の軍事基地の周囲と同じように、韓国でも飲み屋や
売春宿は長い間米軍基地を囲むようにして立ち並んでいる。
また、議会の傍聴録の写しには少なくとも何人かの政府指導者がある種の必要性があるとして売春を見なして
いたと示唆する記録が残っている。1960年には2人の議員が、同盟国軍人の「自然に必要なもの」が売春婦の
供給によって満たされており韓国ではなく、日本へ彼らがドルを費やさないよう仕込むべきだと政府に促している。
当時のLee Sung-wooは答弁で政府が「売春婦の供給」とアメリカへの「レクリエーションシステム」における、
幾つかの改良を進めていると答えている。
KimさんとMoonさんの二人は性病のコントロールが両国政府のために行われていたとする女性らの主張を
支持している。彼女らはリチャード M. ニクソン大統領が1969年に米軍撤退のプランを発表したことで、米兵の
数がさらに減少すると韓国は恐れ、政府によるコーディネートが特に著しくなったと言っている。
「お客が去っていくのを思いとどまるためには、売春街でどれだけ良く扱われたかと感じさせることだと考え、
まず環境を整えることになりました。」と、Kimさんはテレビのインタビューで答えている。
Monnさん(ウェルズリー大学教授)によると、1970年代に米軍高官と韓国政府官僚の会談議事録に、両国で
性病の流行を予防するための期間を示すものがあったという。未登録、または健康診断を受けなかった売春婦
を拘束し、売春婦として登録するためには処置を受けたことを保障する人や診断書が必要であるなどの政府
努力や、1976年における共同巡回に関するレポートには”隔離”を勧める内容も含まれていた。
(続く)