【日台】「国のため」大和魂を持って戦ってきた台湾少年工[12/29]at NEWS4PLUS
【日台】「国のため」大和魂を持って戦ってきた台湾少年工[12/29] - 暇つぶし2ch1:依頼126@芝蘭φ ★
09/01/02 21:08:56
「この道が宿舎から工場までの通勤路。みんなで軍歌を歌いながら約20分かけて歩いたんです」。

大和市上草柳のアスファルトの道路を、近くに住む呉春生さん(79)は見つめ、60年余り前を振り返った。

工場とは戦時中、旧日本海軍厚木飛行場(現米海軍厚木基地)北側の座間、海老名市にあった
「高座海軍工廠(こうしょう)」。呉さんは、この軍需工場で、台湾出身の少年工約8000人のうちの
1人として戦闘機などの生産に携わった。

原っぱだった通勤路周辺は、今は住宅街。当時の面影はない。
だが、忘られつつあった高座海軍工廠や台湾少年工のことを「この地域の人たちも、知っているかも
しれない」といまは思う。今年10月、元台湾少年工の証言を記録した映画「緑の海平線~台湾少年工の
物語」(郭亮吟監督、2006年制作)が県内で初めて横浜市中区の映画館で上映されたからだ。

映画は、同工廠の写真や映像、呉さんら元台湾少年工のインタビューで構成し、彼らが戦中、戦後を
どう生きたかを描いている。上映は1週間だったが、盛況だった。制作者側との質疑応答では客席から
「こういう映画をつくってくれてありがとう」という声も上がった。呉さんにも、映画を見た友人たちから
「君たちがこんなに苦労していたとは知らなかった」といった電話があった。

日本は、戦時中の労働力不足を補うため、統治下にあった台湾から優秀な少年を動員した。
呉さんは、1944年、15歳の時に同工廠へやって来た。

「働きながら勉強でき、国のためになると思い、希望に燃えて志願した」。
実際には、勉強する時間はなく、物も不足していたため、ボロをまとい、げたをはいて過ごした。
しかし、「誰を恨むわけでもなかった。『お国のため』という気持ちで頑張った」

64年に、元台湾少年工を集め、在日高座会を結成。97年には「台湾少年工の足跡を伝えよう」と
大和市内に台湾式のあずま屋「台湾亭」も建立し、1997年、同市に寄贈した。

しかし、メンバーが高齢化するにつれ、同会の活動は先細りとなった。地域でも台湾少年工のことを
知る人は少なくなったと感じていた。そんな時に、祖父から台湾少年工の話を聞き、映画化を決めた
郭監督から、協力を求められた。

呉さんは「生の声で伝えることは難しくなったが、幸い、台湾少年工の存在を描いた、素晴らしい映画が
残った。若い人たちにも、私たちが国のため、大和魂を持って戦ってきたことを感じ取ってほしい」と話した。
(鈴木貴暁)

ソース:2008年12月29日 読売新聞 【記者ノート2008年】台湾少年工の大和魂
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)

写真は大和市内の台湾亭を訪れた呉さん
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)

関連スレ:【国内】元台湾少年工「少年工の本当の姿を知ってほしい」・・・記録映画上映-神奈川[10/30]
スレリンク(news4plus板)


レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch