08/12/24 17:48:05 htpSd/YB
>>634
確かにどんな言葉にも対応可能だが、
カタカナ語には漢語にある「視認性」が欠落している。
俺たち日本人が文章をすばやく読めるのは漢字を右脳で画像として処理しているため。
しかも漢字には一語一語に意味が含まれているため、瞬間的に意味を理解することもたやすい。
仮に、今日本語に存在している漢語が全てカタカナになったら、
右脳と左脳を効率よく使って読めていた日本語が左脳を使ってしか読めなくなる。
要するに日本語のハングル化。
俺らのジーサマ方が何故西洋の概念をそのまま取り入れずに漢語に訳したと思う?
上記した事実を経験則で理解していたからだ。
要するに、昔の日本人は外国の文化を取り入れるときには必ず吟味して換骨奪胎していた。
カタカナ語の柔軟性は認めるところではあるが、今の無節操に外来語をカタカナ語にしてしまう風潮には
危機感を感じざるを得ない。
日本人は言語の変化が「進化」なのか?それとも「退化」であるのかを見極めなければいけない
かつての日本人がそうしてきたように。