08/12/18 18:09:19
≪正確な日本語は留学生≫
いま大学で安全保障と危機管理について教鞭(きょうべん)を執っている。学生の年齢は20歳前後、1989年の生まれも
少なくない。西でベルリンの壁が崩壊し、東で中国の天安門事件が起きた年、冷戦構造が最終局面を迎えた年である。
なぜか筆者のクラスには中国からの留学生が集まってくる。概して真面目(まじめ)な学生たちで、お国の一人っ子政策の
ためだろうか、余裕のある家庭の「甘えっ子」が多いようだ。
ここで国際安全保障を教えるときには、アジア太平洋地域の近現代史に触れないわけにはいかない。教壇に立って見渡し、
外見だけで中国からの留学生を見分けるのは難しい。講義をする上で別に区別する必要はないのだが、やはり微妙な問題
なので神経を使う場面も多い。
そんなとき学生に質問してみる。「8月15日に総理が靖国神社を参拝することについて、どう思うか」。「問題ない」や「どちら
でも」といった不明瞭(めいりょう)かつ曖昧(あいまい)な答えが多いのだが、時に、「個人の信仰の問題であり、とくに反対では
ないが、故ある日に国の代表者が参拝するのは私個人としては好ましくないと思う」と、正確で丁寧な日本語で答えが返って
くることがある。それは、中国からの留学生とみていい。
≪近現代史には認識の違い≫
日本の若者は3種類の日本語をTPOで使い分ける。就職の面接時に使う丁寧で正確な「会社語」、家や買い物の際の
「普通語」、友人とのおしゃべり用の「仲間語」だが、最近はそれもゴッチャになっている。一方の留学生は教室で正確な
「会社語」をよどみなく使う。
日本の学生は、政治や政局に関してもそれなりに積極的に意見を述べる。だが、留学生はどちらかといえば、歴史観など
政治的な内容の議論は意識して避けているようだ。
(中略)
学生たちに「先の戦争」といっても、当然ながら受け取り方が違う。日本の学生にとっては大東亜戦争ではなくイラク戦争であり、
一方、中国留学生にとっては、間違いなく中学と高校でしっかりと教わった「中国人民抗日戦争(中国での公式名称)」となるので
ある。
≪目標は「日本のような国」≫
冒頭に述べたように、そうした中国人留学生の日本語には目を見張るばかりだ。漢字という共通のツールがあることを
差し引いても、日本語の「読み、書き、話す」が実にしっかりしている。一方、目の前にいる日本の学生が中国に留学したとしよう。
現地の大学で中国語を操り、堂々とプレゼンテーションできる者は一握りだろう。
同じ東洋人として語学力では負けているとつくづく思わされる。まさに「どげんかせんといかん」。国の意志を発信することは
今や焦眉の急である。
中国からの留学生には、ほぼ同じ経済的負担で米国に渡る選択肢もあった。最終的に米国より日本留学を選んだのは
少なくとも嫌日ではなく、むしろ親日と言ってよい学生が多いはずだ。彼らに日本のどこが気に入ったか、と聴くと、「街が安全で
ある」「清潔である」「貧富の差が小さい」と、お世辞抜きの表情で答える。
「いや、いま日本ではワーキング・プアや非正規雇用など格差の固定が大きい問題になっている」とこちらは応じるのだが、
それでも彼らは「日本は共産主義革命を経ないで、どうしてこのような平等に近い社会を作り上げたのかその謎を学んで
中国へ持ち帰りたい」と真剣な表情でいうのである。
中国における共産主義革命の目標は、働く人民の間に貧富の差が小さい「日本のような国」を作り上げることだった。今その
途上にあるというのだ。
留学生が日本の学生に与える影響は大きい。いずれ帰国する留学生たちが将来、日中の懸け橋的役割を担うことを期待
している。
ソース(MSN産経ニュース、帝京大学教授・志方俊之氏)
URLリンク(sankei.jp.msn.com)