08/12/18 23:29:07 q4/rSQtd
朝鮮に桶や樽がなかったのは、森林資源に恵まれなかったところが大きい。
もともと瘠せ地の冷涼乾燥気候で木の生育には適しておらず、杉やヒノキのような良材は夢のまた夢。
せいぜいアカマツくらい。
アカマツは樽や桶の材料としては適していないからな。
だから水汲みも味噌漬け、キムチ漬けも酒運びも肥運びもみんな甕を使った。
重くて割れやすい甕。
もっとも、桶や樽に関してはアジア全域が後進地帯。
西洋ではすでに古代ガリア民族が、ナラの木を割って柳のタガで締め上げた樽を発明し、
これでビールやワインを運んでいた。
日本では大和時代頃に「曲げ物」。曲げわっぱみたいに針葉樹を薄くはいだ板を丸め、
底と蓋をつけた器が発明された。しかしこれは大型の器が作れず、強度にも乏しい。
それでも曲げ物の器で水を汲み、漬物を漬けた。
西洋の桶や樽の技術が中国に伝わったのが10世紀頃。
さらに日本に伝来したのが室町時代。
それ以降は、筋の通った杉やヒノキといった良材、さらにタガとして最良の竹のおかげで
樽、桶は大いに広まった。
しかしそれでも、日本の樽と西洋の樽を比べれば、西洋樽のほうに軍配が上がる。
西洋の樽は紡錘型なので、ゴロゴロ転がせて運ぶのに便利。寝かせても立ててもおける。
しかし日本の樽は台形で、運びにくい。
しかし車がない・・・
「猫車」はどうなった?