08/12/16 12:29:32
1911年12月14日、ノルウェーの探検家アムンゼンが犬ぞりで初めて南極点に到達した。ライバルだ
った英国のスコットより30日余り早かった。スコットは準備してきたモーター式のそりが寒さで故障し
、歩かなければならず、帰還途上に亡くなった。彼が死ぬ前に書き残した日記は英国人を泣かせた。
最後の一文は「神よ、わが国民を守りたまえ」だった。英国人は「人間精神の勝利」だとして、スコット
をアムンゼンより偉大な探検家としてたたえた。死をも恐れぬ勇気と祖国愛が敗北を勝利に変えた
のだった。
1975年にフィリピンで行われたモハメド・アリとジョー・フレージャーによる3回目の対決はボクシング
界で史上最高のライバル戦に数えられる。アリが「ゴリラ」とののしって叫ぶと、フレージャーは戦車
のように休むことなく襲い掛かった。フレージャーの突進は、アリの繰り出すパンチで両目が腫れ、
前が見えなくなった第14ラウンドまで続き、アリがTKO勝ちを収めた。アリは「死の手前まで行った。
フレージャーが試合を放棄しなければ、おれが放棄しただろう」と話した。
1994年、米女子フィギュアスケートのスター、ナンシー・ケリガンは暴漢にひざを襲われ、全米選手権
に出場できなかった。優勝はライバルのトーニャ・ハーディングだった。犯人はハーディングの前夫が
雇った人物だった。フランスの哲学者ボルテールはかつて「競争心は才能の糧であり,羨望(せんぼ
う)は心の毒である」と指摘した。幸いけがが軽かったケリガンは五輪に出場し銀メダルを獲得したが、
ハーディングは8位に終わった。その後、ハーディングは元夫にプライベートビデオを暴露され、アイ
スホッケー、ボクシングなどの世界を転々とした。
先週末に韓国で開催されたフィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルでは浅田真央が優勝し、
キム・ヨナは2位に終わった。18歳のライバル対決は既に8回目だ。ジュニア時代の対戦成績は浅田
が2対1でリードした。2006年に急成長したキム・ヨナはGPファイナルで2連覇を果たし、浅田は昨年と
今年の世界選手権を制覇した。シニア戦績はキム・ヨナの2勝3敗、ジュニア時代を含めると3勝5敗だ。
二人の対決は来年3月の世界選手権、2010年の冬季五輪と今後も続く。浅田がロシア人コーチのタ
チアナ・タラソワとの契約を10年まで延長すると、キム・ヨナもカナダ人コーチのブライアン・オーサー
に引き続き指導を受けることを決めた。キム・ヨナは故国で行われた初の国際メジャー大会で敗北を
味わいつつも、浅田に「素晴らしい勝負だった」と声を掛けた。浅田はインタビューで「キム・ヨナという
ライバルがいて刺激になる」と語った。抜きつ抜かれつしながら互いを高め合うライバルの姿は美しい。
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