08/12/14 13:07:15 YiyyertN
>>1 また、1690年代に安竜福(アン・ヨンボク)将軍らが日本に
渡り鬱陵島と独島が朝鮮領土であると抗議した後、江戸幕府が
鬱陵島と独島の日本人立ち入りを禁じる海禁令を出した
このあたりが韓国人特有の嘘のつき方だ。
江戸幕府が朝鮮に対し、当時実効支配していた鬱陵島を放棄し
日本漁民に渡海禁止を出したのは事実だが、竹島(当時の名称は松島)は
関係ない。
韓国人は鬱陵島の問題を独島とセットにして持ち出すことで、
曖昧模糊とした中で読者が「独島は昔から韓国領」「日本は大昔に
独島の領有を放棄した」と誤解するよう仕向けるのは、常套手段と
なっている。
これまでにも同じことは何度も繰り返されているので、日本でも
すっかり有名になったが、安龍福が1696年に2度目に日本に
やって来たとき、「鬱陵島と松島(今日の竹島)は朝鮮領」だと
応対した鳥取藩役人に言ったというのは事実のようだ。しかし、
安龍福が主張したかったのは鬱陵島と于山島が朝鮮領だということで、
どこにあるかもわからなかった于山島をこのときはじめて松島のことだと
言うようになった。
韓国では、この安龍福の主張を唯一の歴史的資料として、日本の竹島が
自分たちの古くからの領土だと主張している。もう少し詳しく言うと、
鬱陵島と于山島の二つの名をあげて朝鮮の領土とする史料は昔からあった
が、于山島を「鬱陵島と同じ」としたり鬱陵島の東にある「竹嶋(チクト)」
とする史料もあるため、それがどの島なのか不明だった(現在でも不明)。
では安龍福は何故、「于山島は日本の松島のこと」といい始めたかと
言うと、彼の勝手な思いつきという以外にない。たぶん1696年1月に
鬱陵島で日本漁民の漁具などを荒らした罪で鳥取に護送され取調べを
受けた最初の日本滞在のなかで、日本の漁民が松島を経由して鬱陵島へ
渡るという話でも聞いたのだろう。
ここで極めて重要ことは、韓国にとって于山島を当時の日本の松島(
今日の竹島)に結びつける根拠なり史料は、この思いつき同然の
安龍福の主張より、後にも先にも、まったく存在しないということだ。
もちろん、日本側にも、当時の日本の松島が韓国では于山島と呼ばれ
ているようだなどという史料は、まったく存在しない。仮に、朝鮮が
17世紀当時から松島(今日の竹島)について、朝鮮領とする主張を
行っていたなら、日本側にもそうした朝鮮の言い分を記した文書などは
間違いなく存在しているはず。しかし、そういうものは全く存在して
いない。つまり、朝鮮にも日本にも、そうした「安龍福の主張」を
裏付けるような史料が存在しない以上、そうした主張自体が存在しな
かったと考えるのが正しい。
ところが、現在の韓国は、この根拠のない安龍福の主張を、唯一の
根拠にして「独島は韓国の領土」と主張している。後にも先にも
安龍福しか言ったことのない主張、それを裏付ける証拠がどこにも
なく偶然の思いつきでしかない主張を、領土主張に最大最高の根拠に
する韓国という国!!
こいつらは、どんな脳をしているのだろうw