08/12/14 20:00:54 MYt4Z+YA
■百済武寧王は、市辺押磐皇子の息子か。
『武寧王誕生伝説』では、百済王が「妊娠している側室」を軍君に「与えた」という。
ところが、与えたはずなのに、「女が子を産んだら、女と子を百済に戻せ」と命じたのだという。
百済に戻すのなら、その女を「与えていなかった」ということであろう。
また、百済に戻すくらいなら、なぜ、女をわざわざ軍君と共に日本へ行かせたのか?
日本へ行かせる前から、女が身ごもっていることをカイル王も軍君も知っていたのだ。
なぜ、その女を日本へ送ったのか。
このエピソードには、古代史の重要な真実が隠されている。
ようするに、この女は日本で子供(武寧王)を産む必要があったのである。
カイル王と軍君は、日本にいる反雄略天皇派の皇族や豪族に、その女が武寧王を産むところを
見せる必要があったのだ。
それは、武寧王が日本天皇家の血を受け継ぐ者であることを、日本の皇族や豪族たちに
確認させるためだ。武寧王が生まれた島には、市辺押磐皇子を支持する皇族や有力豪族が集まって、
軍君と女(武寧王の母)を迎えたであろう。
つまり、その女が島で子を産むことは、予め計画されていたことなのである。
武寧王は後に百済王となったが、彼が生まれた時、武寧王の誕生を見守った市辺押磐皇子派の皇族、
豪族たちは、武寧王を将来の天皇候補者の一人として見ていたのかもしれない。
だからこそ、武寧王は日本で生まれる必要があったのだ。武寧王はヒムカ(九州)の島で
生まれたが、ヒムカは応神天皇とも縁のある土地である。
>つまり、その女が島で子を産むことは、予め計画されていたことなのである。
>武寧王は後に百済王となったが、彼が生まれた時、武寧王の誕生を見守った市辺押磐皇子派の皇族、
>豪族たちは、武寧王を将来の天皇候補者の一人として見ていたのかもしれない。
>だからこそ、武寧王は日本で生まれる必要があったのだ。武寧王はヒムカ(九州)の島で
>生まれたが、ヒムカは応神天皇とも縁のある土地である。
神功皇后と誉田別皇子(応神天皇)を支えた豪族の子孫が、ヒムカにいたのではないか。
これらの豪族が、軍君と女を島で迎えたのだろう。
ということは、桓武天皇の母、高野新笠は、市辺押磐皇子の子孫ということか・・・。
409:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
08/12/15 01:04:41 5kNYlDd9
500人ずつだと精度低すぎだな
一番上の質問でも
中国91.1~95.4%
日本86.4~91.8%
韓国82.9~88.9%
ぐらいのブレがある
もう一度アンケートをやり直せば
順番が入れ替わる可能性が十分に有るから
これだけから結論を出すのは危険度が高い