08/11/18 06:55:42
(>>1のつづき)
■「奴隷商人たちの暗躍」
昨年11月下旬、京都で催された「鼻塚(耳塚)から朝鮮通信使へ」というシンポジウムで、私は耳塚問題と
秀吉侵略時の朝鮮人奴隷連行問題について話した折、06年10月、南米のエクアドルの大統領選で当選
したラファエル・コレア大統領に触れ、近代以降の移民ならば、金とか李、または朴とか明確な姓名を名乗る
はずなのに、コレアを名乗るのは、近代以前であろうと言い、1597年5月に長崎に上陸したイタリア人
フランチェスコ・カルレッチが、朝鮮奴隷少年5人を買取り、インドのゴアで4人を手放し、一人だけを連れて、
来た時と同じようにマニラから南米経由でイタリアに帰り、奴隷少年を解放し、名をアントニオ・コレアとつけた
ことを話して、今度大統領になったコレア氏は、経緯は不明だが秀吉軍の奴隷として連行された人の子孫
ではないか、との推測を述べたことがある。
私はこの時、韓国日報・金聖佑記者の記事のことは知らなかった。シンポジウムが終った後、近くの
レストランで懇親会が持たれた。私が椅子に腰をおろすと、卓をはさんで前にすわっていた60代の人が、
名刺を出した。尹達世とある。私は思わず声をあげた。「ああ、会いたかったなあ」。尹氏は民団新聞に
「四百年の長い道」という、被連行朝鮮人のその後の足跡を迫ってユニークな記事にまとめて連載していて、
私は時折、この新聞を見ると、必ずこの紀行文には眼を通していたのである。尹氏はこの時、一冊の本を出し、
「進呈します」と言う。見ると本になった「四百年の長い道」であった。私はありがたく頂戴した。
この本の「奴隷商人の暗躍」という2ページで、金聖佑記者の記事が紹介されていた。だが、この本では、
コレア氏たちの米国、カナダ、南米への移民についての紹介はなかった。私は朝鮮大学校図書館にある
韓国日報の原文を読んで、初めて前記、移民の件を知ったのである。
私は京都でのシンポでエクアドルのコレア大統領の朝鮮人奴隷子孫説を推測として述べたが、イタリア・
アルビ在住コレア氏の、米、加、南米へのコレア氏たちの移民証言で、私の朝鮮奴隷子孫説が、ぐっと
現実味を増したことになったと思う。
後は、確認の作業だけである。コレア大統領は今も自身のコレア姓について、知らないままでいるのかも
しれない。(歴史研究者・琴秉洞氏は、この原稿を書き上げた後、さる9月24日に死去されました) (了)