08/11/16 10:05:42
>>1の続き
◆強圧的な鎮圧と捜査
日帝が3・1運動を無慈悲に鎮圧し捜査したことも、判決文から確認できた。
光州で起訴されたキム・ソンジェは、「父親が万歳を叫び銃傷を負ったという知らせを聞き、現場に
向かったところ、警戒中の軍人がわたしの腰を剣で刺し、病院に運ばれた。なのに憲兵隊や法院で
は、父子で万歳を叫ぶことを共謀したとし、有罪を言い渡した」と抗弁した。
大邱で万歳の場面を見守っていただけだというパク・ムニョンは、警官が大声を上げながら殴打す
るためうその自白をし、懲役6月を宣告された、と主張した。
京城(ソウル)地方法院で起訴されたチェ・ジョンソンは、「いかなる罪もないにもかかわらず、警察
署で強制的に尋問され有罪宣告を下されたのは、悔しくてならない」として上告した。
◆ごく少数ながら合理的な判決も
その一方で、ごく少数ながら、当時の判決の中には一部合理的な側面もあった、というのが翻訳を
担当した大法院図書館側の説明だ。1919年4月1日、開城で万歳運動を主導した14人に対し、内乱罪
は成立しないとした判決がその例だ。「被告人らの行動は、朝鮮を独立させる希望があることを世上
一般に宣言する内容に過ぎない」ため、内乱罪不成立というわけだ。
全羅南道康津地域で独立宣言文を印刷するなど、万歳運動を準備したが決行前日に検挙された
学生らに対しては、一地方の平穏を害するほどの行為ではないなどの理由で、無罪が宣告された。
また、万歳運動後に連行された仲間を取り戻そうと警察署を包囲、脅迫した事案について、連行者に
対する令状はなく拘禁状態だったとして、犯人奪取罪の対象とはならない、と判示した例もあった。
これについて大法院の関係者は、「日帝が本格的に軍国主義化する直前の時期で、少数ながらそ
うした判決が出たようだ」と語った。