08/11/14 23:28:53
ソース(サーチナ、高井潔司・北海道大学教授) URLリンク(news.searchina.ne.jp)
この9月、私は本欄に「“媚中報道”を止めた朝日新聞の気になる最近の報道」という少々挑発的な文章を書いた。一部の雑誌などで
いまだに朝日新聞の論調が「親中国」的と批判している評論を見るにつけ、それはもはやステレオタイプな見方だと指摘する一方、最近
の朝日新聞の変身を少々皮肉るつもりもあった。朝日新聞の真意を直接確認したわけではなかったので、朝日新聞の友人から抗議が
来るのではと心配したが、それは杞憂だったようだ。抗議どころか、むしろ、最近では、「やはり朝日は変わっていたんだ」と確信する
二つの出来事に出くわした。
◆朝日が明らかにした報道方針
一つは、日本新聞協会が発行する「新聞研究」11月号の北京オリンピック特集で、朝日新聞の編集幹部が書いた「光と影、両輪を
貫いて」を読んだことである。この文章はサブタイトルが「中国の現状をどう伝えたか」とあるように、北京オリンピックをめぐって繰り広げた
朝日の報道の舞台裏を明らかにしている。
朝日新聞社において、今回の北京オリンピック報道の責任者を務めた佐藤吉雄変中局長補佐の文章で、冒頭、閉幕後に聞いた
2人の「紙面モニター」の朝日のオリンピック報道に対する「対照的な意見」を紹介し、朝日の採用した取材方針、今後の中国報道の
方針を示している。
まず2人のモニターの意見を簡単に紹介しよう。1人は「北京の人権軽視・報道規制、チベット・ウィグル自治区などでの動向、
表面の華やかさから意図的に隠された庶民のうめきなど中国の今の実相を的確に把握できた。中国国内では今後、様々な揺り戻し
や締め付け強化などが表面化しようが、引き続き勇気を持って果敢に記事化してほしい」と述べ、もう1人は「バッシング的な報道が
多くなかったが、中国の政治、社会・メディアの状況は確かに我々の目から見ると問題点、おかしなことが多い。しかし、私たちの国も
そうした経過を経てきたことを考え合わせ、中国の人々に真摯な態度で提言、問題提起するという姿勢の報道であってほしかった」
と述べたという。
(中略)
私には、2人のモニターの意見がそれほど対照的とは思えない。それぞれ中国の問題点について指摘すべきであると考えているが、
後者はそれを伝える側の姿勢の問題をさらにプラスして問うているのである。それはともかく佐藤局長補佐のこの考え方からすると、
やはり朝日はこれまで「影」の部分を正面から勇気を持って果敢に伝えてこなかったかのような印象を与える。一部の評論家が言うような
「親中国」派であったことを自ら認めているのだろうか?
そして、「『光』の方は、意図しなくても五輪本番へ向けて取材を進めれば、これまでの五輪と同じように自然にニュースが増える。
しかし、『影』の部分はそうはいかない。欧米の先進国ならともかく、経済は改革・開放しても政治は一党独裁で、取材、報道の自由が
保障されない国である。当局が取材に協力するわけがない。とにかく、現場へ何度も足を運び、当事者やなるべくそこに近い人たちに
直接取材するしかない」と現場主義の徹底を強調している。この文章を読む限り、現場主義は「影」の部分の追及に向けられたといえよう。
後続の小見出しも「踏みにじられる人権を告発」「開幕後も『影』追及緩めず」と続く。小見出しは「新聞研究」本部が付けたものだろうが、
その論旨を的確に示している。それで光と影の両面を持つ中国の実相をバランスよく伝えることになるのだろうか。本当に現場で、実相
を伝えるような取材ができるのだろうか。
文章は最後にこう結んでいる。
「中国報道は、北京五輪をめぐる報道で新しい段階に入った。かつての中国の専門記者の領域から、様々な分野の記者が巨大な
隣国を直接取材対象とする時代を迎えるだろう。この1年の取材、報道を土台にして、ポスト五輪の取材は現在進行形で続いている」
この文から、「媚中派」などとはもう呼ばせない意気込みを感じさせる文章で、結構なことである。気に掛かるのは「かつての中国の
専門記者の領域から……」の部分である。どうやら取材の方針だけでなく、体制そのものを変えていく方向に転換したらしい。
(>>2以降に続く)