【ウイグル】肉体拷問で二本の指を失ったウイグル人政治犯の悲鳴[11/11]at NEWS4PLUS
【ウイグル】肉体拷問で二本の指を失ったウイグル人政治犯の悲鳴[11/11] - 暇つぶし2ch1:依頼261@芝蘭φ ★
08/11/12 00:20:34
この写真(撮影:RFA)は、ホータンで警察の肉体拷問を受け、二本の指を失ったウイグル人政治犯
アブドウッラ氏の手の写真である。

※二本の指を失ったウイグル人政治犯アブドウッラ氏の手の写真
URLリンク(www.uyghurcongress.org)

アブドウッラ氏はホータンでRFAの放送を聴いたことを理由に逮捕され、2003年6月から11月までに監
獄で肉体拷問を受ける。そして、肉体拷問で二本の指を失ってから釈放される。しかし、一度「政治犯」
のレッテルが貼られた彼は、その後も警察の監視の下に置かれ、不当拘束・拷問・釈放の繰返しを経
験することになる。結局のところ、警察のやり方に危険を感じた両親の忠告を受け、出国を余儀なくされ、
トルコに亡命してくる。アブドウッラ氏は、トルコでRFAの取材(2008年11月6 日)に答え、トルコ亡命を
余儀なくされるまでの経緯について次のように語った:

 2003年6月7日に、私は仲間5人とRFAの放送を聴いていたところ、突然警察がやって来て全員を拘束
 した。警察では、RFAの放送を聴く目的、RFAの放送を聴いている知り合いなどが他にいないかなどに
 ついて繰返し質問され、酷い拷問を受け、手に酷い怪我を負った。相当の出血にもかかわらず、
 医者に見てもらうことが許されないまま拘置された。真夏日が続く中で、私の怪我した手は次第に
 腐り始めた。健康悪化を警察に必死で訴え続けた後に、医者に見てもらうことが許された。しかし、
 医者の診断の結果は、既に腐り始めた二本の指を直ちに切らなければ体全体に影響が広がり、
 非常に危険であるというものだった。家族との相談も許されなかったため、私は仕方なく医者の判断
 に任せることにした。そうやって、私はこの二本の指を失った。

 2003年11月4日に、監獄で一切拷問を受けていなかったこと、警察の態度が非常に良かったことなど
 が記載された文章に署名することを条件に、私はようやく釈放された。釈放後には、警察の報復を
 恐れ、失われた二本の指と監獄生活の関係について周囲に何も言わないようにした。2004年には、
 特に警察に呼び出されることもなく普通に暮らしたが、2005人に入ってからは状況が一変した。現地
 では、毎年国慶節、春節などの 記念行事や祭りの時期が近づくと政治的にマークされているウイグル
 人が一斉に拘束され、記念行事や祭りの期間が過ぎてから釈放されることは一般的である。ですから、
 政治的にマークされたウイグル人はこのような記念行事や祭りの期間で家族と一緒に過ごすことは
 ほとんどないのである。私は、2005年2月のはじめに(春節直前に)理由も無く拘束され、2月14日に
 釈放された。また、2005年9 月30日に(国慶節直前に)理由も無く拘束され、10月10日に釈放された。

 2006年1月27日に(春節直前に)、私はまた理由も無く拘束され、2月5日に釈放された。
 今回は、拘束の理由について警察に問いただしたことを理由に複数人の警察に酷く殴られ意識を失った。
 暗い一室の中で意識を取り戻した時には、既に私の1本の歯が骨折していた。その後、危険を感じた両親
 が私に出国を勧めた。結局のところ、私も仕方なく出国を決意し、一万元の賄賂を使ってパスポートを
 手にし、トルコに亡命した。

ソース:世界ウイグル会議、ニュース(Tuesday, November 11, 2008)
URLリンク(www.uyghurcongress.org)
元ソース:RFA 
URLリンク(www.rfa.org)
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