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【韓国歴史】 「西洋に伝わった<製紙術>は高句麗の技術である可能性あり」~新羅学国際学術大会[11/02] - 暇つぶし2ch1:蚯蚓φ ★
08/11/03 14:51:02

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▲西暦751年、唐とサラセン(アッバース朝)軍隊が戦った「タラスの戦い」の想像図。

西暦751年タラス(Talas)の戦いを通じて西側に伝えた製紙技術が「高句麗の技術」である可能性がある、という興味深
い主張が出た。高句麗流民の高仙芝(コ・ソンジ、?~755)将軍が率いる唐軍とサラセン軍の間に起こったタラスの戦
いは世界文化交流史で重要な道しるべになった事件だ。この戦闘で捕虜としてつかまった唐の製紙工によって東アジ
アの製紙術が西側に伝わったからだ。

趙法鍾、又石(ウソク)大社会教育科教授(韓国古代史専攻)は1日、慶北慶州ドリームセンターで開かれた慶州市第2
回新羅学国際学術大会「シルクロードと新羅文化」で発表文〈高仙芝と高句麗紙'蛮紙'に対する検討〉を通じて「この時
伝わった製紙術が'高句麗技術'だったし、紙も'高句麗紙'である(蛮紙)だった可能性がある」と主張した。

チョ教授は当時サラセン側の捕虜になった杜環の記録である《経行記)》に注目した。杜環は捕虜になった多くの中国
人職人について書いたが、製紙工については全く記録しなかった。「唐の捕虜による製紙術伝播」はアラブ側文献にの
み登場する。それなら製紙工は杜環と言語が通じなかった人々、すなわち漢人ではない捕虜だった可能性が高い、と
いうのだ。

高仙芝の活動舞台は今の新疆ウイグル自治区と甘肅省にあたる安西都護府と農牛だったが、こちらは唐時代の紙を
生産した地域ではなかった。高句麗滅亡13年後の681年、高句麗流民の中でかなり多くの数が農牛地域に永住渡航
したし、彼らの子孫の中で一部は後日、高仙芝部隊に配属されて活動した。したがってタラスの闘い当時捕虜になった
唐軍2万人の中でかなり多くの数は、高句麗流民と見なければならないとチョ教授は述べた。

高句麗の製紙術は非常にすぐれていた。唐初期の中国人が'蛮紙'と呼んだ高句麗紙が唐に大量に輸入された事実は
《ブフォンザブロック(負暄雜錄)》《說郛)》などの文献でも確認される。高句麗紙は麻を原料にした麻紙だったが、タラス
の戦い以後、サマルカンドで生産された紙がやはり麻紙だった。

結局、高仙芝部隊に編制された高句麗流民たちの中で製紙工だった捕虜によって'高句麗製紙術'がアラブに伝えわっ
た可能性があるというのだ。これに対して学術大会の討論者であるチュ・ボドン慶北大教授は「充分に問題提起できる
内容だが、まだ情況証拠を除いては当代の実物資料など物証がないから、もうちょっと研究が必要だ」と述べた。

ソース:朝鮮日報(韓国語) "西側に伝えた<製紙術>は高句麗技術である可能性"
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関連スレ:【韓国歴史】 高句麗人の末裔、高仙芝はヨーロッパ文明の父~これは中国史?韓国史?[03/19]
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