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先月30日午前9時20分、雨風が吹きつける独島(日本名:竹島)東島船付き場。目立つ格好の集団が太極旗を振っ
て「独島は我らの地」を熱唱していた。かなり練習したせいなのか、発音も比較的あざやかだった。24人はメキシコ国
籍の韓人の子孫4、5世同胞たちだった。外人としては初の独島訪問だ。
また彼らの先祖が仁川港から祖国を去り、103年ぶりにまた戻ってきた所が独島だった。先祖の国について断片的に
知っていたいくつかの事実が彼らにとって巨大な実体になる瞬間だった。簡単なあいさつ以外は韓国語がほとんどで
きず、容姿も非常に異なるが、大変な旅程の独島訪問を通じて韓国系という事実を熱く確認したようだった。
もう一度、独島は我らの地を歌った後、彼らは東島周辺を見て回わった。彼らの顔から韓国人の顔を捜すのは難しか
ったが、独島についてだけは確かに分かっていた。自分が韓国姓‘チョン氏’と明らかにしたマルチン・ダミアン・マルテ
ィネス・カルデナス(19)君は「日本が独島を自国領土にしようとする事実は知っている。独島は厳然とした韓国の地だ。
日本が卑怯な事をやっている」と述べた。訪問団の中で年が一番若いルイス・アルベルト・チァレ・チァブレ(17)君は「こ
こ来て独島は確かに韓国の地であることが分かるようになった」と言う。
前日の午前、浦項から出発、5時間半の間船酔いとの‘死闘’のあげく鬱陵島に到着したが、天候不順で独島出港は
不可能。鬱陵島で一日泊って明くる日の朝7時、鬱陵島を出発した後も「独島接岸ができるか分からない」と言う案内
放送を聞かなければならなかった。二時間あまりの航海の中で独島を直接踏んで見られるかもしれないと言う期待は
半々に過ぎなかった。しかし、このような一種のイニシエーションを通じて彼らは韓国人子孫であることを再認識した。
ある意味、民族性の回復である。
90年代以前まで、彼らにとって韓国人の子孫という事実はあまり有り難くない遺産だった。恥ずかしい過去だったから
だ。しかし88オリンピックと2002年ワールドカップなどを経て、韓国産自動車と家庭電気製品が現地にあふれながら
韓人子孫たちはこれ以上過去を恥ずかしがらなくなった。セサル・カストロ・アグィラル(20)君は「韓国人の子孫という事
実が誇らしい」と言った。
外人としては初めて独島を訪問した人々はメキシコ韓人子孫の招請作業研修生。韓国産業人力公団が在外同胞財団
後援で韓人子孫に対する作業能力を進めて本国との連帯、民族的自負心鼓吹のために去る2006年から実施してい
る。彼らは今年7月入国して6ヶ月の過程で韓国語教育を含めて熔接、自動車整備、電機電子などの技術を習得して
いる。
韓人子孫なのはメキシコ大使館でメキシコ韓人会の助けを借りていちいち確認する作業を通して選抜された。去年は
教育を受けて帰った子孫の中で4人がある国内大企業のメキシコ支社に就職して羨まれた。彼らの先祖は1905年5
月15日、メキシコ・ユカタン半島メリタ港に降りた1031人の朝鮮人契約労働者たち。彼らはヘネケン(Heneken・俗称エ
ニケン)農場で4年の契約期間の間、奴隷と違わない生活をしなければならず、このうち300人余りはより良い生活を
捜して1921年キューバに移った。
ソース:ヘラルド経済(韓国語) <単独ルポ>外人独島初訪問“独島は韓国の地”
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