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新井さんは二六年、台湾に赴任。中部の湖「日月潭」北方の盆地が紅茶の産地に
なると確信し、三六年に魚池紅茶試験支所(現・茶業改良場魚池分場)を設立、
四一-四五年に支所長を務めた。
四六年に現地で病死したが、台湾の後輩たちが茶業を引き継ぎ発展させてきた。
ただ、世代が若くなるにつれて新井さんの記憶が薄れ「話で聞く」存在になりつつあった。
再び新井さんが脚光を浴びたのは元部下の東京都小金井市、竹下貝吉さん(83)
が昨年一月に分場を訪ねたのがきっかけ。竹下さんが持参した資料に触れた職員たちは
「新井さんがどんな人か、顔も含めてはっきり分かった」と感激した。
さらに、著名な電子産業「奇美」グループ創設者の許文龍さんが昨年十一月に
分場に立ち寄った際、新井さんに強く引かれた。
許さんはこれまでも日本人技術者の遺功をたたえており、銅像を造って新井さんの
遺族や分場に贈ることにした。
「新井さんは紅茶産業が末永く発展するよう先を見越して仕事をした。感謝の
気持ちでいっぱいだ」と、林金池分場長は話す。
竹下さんは「手厚く顕彰してもらい、ありがたい」と話し、二十四日には
新井さんの
故郷沼田市に暮らす遺族とともに現地に赴く。
東京新聞
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