08/10/21 02:23:43 yD7F/LTE
>>673
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1938年、5千〜2万人のユダヤ人がナチスの迫害下から逃れるため、
ソ連〜満州国の国境沿いにある、シベリア鉄道オトポール駅まで避難していた。
しかし、彼らは亡命先に到達するために通らなければならない満州国への入国の許可が出ず、
足止めを食らっていたのである。
樋口はこの惨状に見かねて、ユダヤ人に対し、部下であった安江仙江陸軍大佐らとともに即日給食と衣類・燃料の配給、
そして要救護者への加療を実施、更に膠着状態にあった出国斡旋、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋等を行った
(オトポール事件)。
戦後イスラエル建国功労者として安江とともに「黄金の碑(ゴールデン・ブック)」に「
偉大なる人道主義者 ゼネラル・ヒグチ」と名前が刻印され、
その功績が永く顕彰されることになった。