08/11/05 19:36:10 QPWfdQOw
今日の中日新聞夕刊8面に韓国の詩人・高銀氏のインタビューが載っていました(ウェブ記事はなし)。
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東アジア共同体を目指して~韓国の詩人・高銀さんに聞く~
南北会談で自作詩を朗読してから八年。
韓国の高銀(コ・ウン)さんは、南北関係が冷えつつある現在も、「統一は点でなく線」と言葉による南北交流を進めている。
民族の歴史を背負い、南北統一、さらには東アジア共同体の未来を描く詩人の体験と夢を、ソウルで聞いた。(稲葉千寿)
ソウル市内の喫茶店。高さんはワインでのどを潤し、質問の日本語にところどころで相づちを打ちながら、韓国語で答えた。
「小学校で日本語を学習しました。ある日、その言語が去ってしまったと知りました。
一九四五年八月十五日。そのとき、戻ってきた言語が私の言語だと自覚しました。言語と私は一つだと。
祖父や父と私の言語が一致して、私以前の長い時間が、言語を通じて私の現在とともにある恩恵を感じました」
三三年、全羅北道生まれ。日本の植民地時代、母国語の使用を禁止され、創氏改名で「高林虎助」とも名乗った。
解放後の、自分の言葉を取り戻す努力としての詩。高さんはその先頭に立ってきた。
高さんの歩みは『高銀詩選集-いま、君に詩が来たのか』(二〇〇七年、藤原書店)に詳しい。
六〇年代の「虚無」から、民主化運動にかかわった七〇年代の「政治的前衛」、八〇年代半ば以降のあらゆる対立を超えた「華厳的統一」へ。
「高銀は長年にわたる詩作を通じて鮮やかな変身を重ね、韓国の詩史に壮観をなす詩人である」(文芸評論家崔元植(チェ・ウォンシク)氏の解説)
「五〇年開始の朝鮮戦争は町も人の心も虚無にした。それ以前の価値も、その後の夢もない虚無。戦争で生き残ったが、自殺を四度もはかり、その都度生き残った。
放浪しながら詩を書き始めた」
出家し、仏教新聞編集などを経て、第一詩集『彼岸感性』を刊行。宗教界に懐疑を抱いて還俗(げんぞく)。
七〇年、労働条件改善を要求して労働者・全泰壱(チョン・テイル)が焼身自殺した事件を機に社会に向き合う。
投獄、拷問、監視されながら「現場」に居続けたが、八四年の安城(アンソン)移住を転機に、文学に専念。
作品は二十カ国語以上に翻訳出版されて、海外の文学者と交流を深め、ここ数年はノーベル文学賞の期待が集まっている。
「文学は現実や政治の単純な道具になってはいけない。文学は常に初めであり、模倣であってはならない。だから、私の故郷は過去ではなく、未来にあります」
そんな心境の到達点の一つが、二〇〇〇年、南北共同宣言発表後の晩餐会で、「統一は以前ではなく/以後のまばゆい創造でなければならない」と詠んだ
「大同江(デドンガン)のほとりで」だったのだろう。
「朗読は予定になかった。招待所の部屋に四十種もの酒があり、試しているうちに酔って、詩が浮かんだのです。夜明け、向かいの部屋の歴史学者に誘われ、
大同江の川辺を二人で歩いた。彼に詩を見せ、朗読し、懐にしまっておいた。その晩、南北共同宣言が出て、晩餐会でその学者が詩の朗読を金台中大統領と
金正日総書記に建議し、酒を飲んでいた私が壇上に呼ばれたのです。その後、総書記は、大統領はお酒が飲めないから詩人とやりましょう、と言い、私とワインを
交わしたのです」
現在はソウル大教授のほか、「母国民族語辞書」の南北共同編さん委員会委員長を務める。
「(北をテロ支援国家に指定していたアメリカ寄りの)李政権下でも進めています。金総書記の健康不安もありますが、絶望していません。
統一は点ではなくて線。ベルリンの壁崩壊のような劇的な事件ではなく過程、百年の事業です」
「南北の統一は、民族だけでなく地域的な意味があるとともに、世界史の問題でもある」と、東アジアの統一も描く。
「東アジアは難しい。戦後処理がされていないから。しかし夢は捨てられません。中国、日本、韓国に、西欧的普遍性とは違う普遍性を創造する使命を持たせる
環境がつくられていくと思うからです。新しい普遍性を持った共同体は、グローバル化や市場経済の独占を調整する役割を果たすでしょう」