08/10/13 21:37:25
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フィクションの想像力が翼を広げる。 恵園・申潤福(シン・ユンボク)が男装女性だったとい
う仮説に続き、申潤福が1794年に日本で活動した画家「東洲斎写楽」だったという仮説が、
作家キム・ジェヒ氏の長編小説「色、写楽」(レッドボックス)に登場した。
イ・ヨンヒ韓日比較文化研究所長が「もう一人の写楽」という本で檀園・金弘道(キム・ホン
ド)が写楽と同一人物だったと主張したが、今回は申潤福が小説の中で写楽として華麗に
再誕生したのだ。
写楽は1974年、日本の江戸で、10カ月間で100点を超える風俗版画(浮世絵)を残して
潜伏した伝説的な画家。 当時、日本では歌舞伎が盛んに行われていたが、写楽は歌舞伎
俳優の生き生きとした姿や紅灯街の女性の華麗な姿を描いた。 妓女を描いた申潤福と素
材の選択で通じる。 明澄な色の版画も、大胆に色を使う申潤福と似ている。 さらに作家の
キム・ジェヒ氏は、申潤福が金弘道の絵を数多く摸写したという事実に着眼し、申潤福は金
弘道の弟子で、正祖の密命を受けて日本に派遣されると いう設定を加えた。
それならキム・ジェヒ氏はなぜ金弘道ではなく申潤福を写楽と設定したのか。これについて
キム・ジェヒ氏は「当時すでに50歳代 だった金弘道が写楽のように活発に活動するのは
難しかった。 むしろ30歳代の申潤福が日本で写楽として活動し、自由で大胆な画風を見
せたと推察した」と語った。 日本で風のように消えた申潤福はまた朝鮮に戻り、畢生の力
作「美人図」を完成したという推測も加えた。
もちろんこうした仮説はあくまでも'仮説'にすぎず、学界の定説ではない。 ソウル歴史博
物館の金右臨(キム・ウリム)館長は「申潤福が写楽だったという説は学術的に立証された
ものではない」と述べた。 「金弘道=写楽」説も同じだ。 しかし漂う風のような人生がベー
ルに包まれているため、申潤福の人生は今日の多くの芸術家がはまってもがく想像力の源
泉になっている。
ソース:中央日報<申潤福は日本の天才画家・東洲斎写楽だった?>
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