08/09/13 12:07:40
星湖、李イク(さんずいに翼)は「お正月と秋夕」と言う文で、「我が国の民間節気〔俗節〕に8月15
日に墓参りすることを秋夕と言う」と秋夕を民間風習だと述べた。
順菴、安鼎福が「安正進の質問に答える文」で3月上旬の伐草は唐国「開元礼」から始まったが寒食に
墓所に参拜して秋夕に墓の雑草を刈って綺麗にすることは'中国の礼には見られない〔於礼無見〕」と
述べたように秋夕の墓参りは中国にはなかった私たちだけの風俗だった。
仁祖反正以後、事大主義が広がりながら一部の士大夫たちの間で、秋夕の墓参りを拒否する動きが現
われたことも中国にはない、という理由のためだった。慎独斎、金集が仁祖27年(1649)「宋英甫に答
えて宋明甫にも共に見せる」という文で「秋夕の時の墓祭り(墓祭)は、私の家では子供達に設行しな
いように命じたし、家廟にだけ少しの酒果をあげるようにさせた」と述べたのがこのような事例だ。
これに悩んだ安鼎福は中国と朝鮮の風習を取りこんで新しい基準を作った。陽の機運ができる冬至と
陰の機運ができる夏至には家廟にお供え(祭物)をあげて、草が育つ寒食と穀食が煮える秋夕には墓に
奠をあげるというのだ。
彼は霊鳥33年(1757)正月に「祭礼を告げる文(告辞)」を作ってご先祖にこれを告由した。安鼎福の秋
夕の墓参りは伽揶の首露王から始まった東方の風俗〔東俗〕と見た。「三国遺事」「駕洛國記」には
「毎年正月3日・7日と5月5日、8月5日が15日(秋夕)にふんだんで貞潔な祭奠で祭祀を行ったが、代々
につながって切れなかった」と書いている。(中略)
秋夕の墓参りは我が民族の親孝行(孝心)が作った独特の風習だ。
イ・ドクイル・歴史評論家
ソース:朝鮮日報(韓国語)墓参り(省墓)の来由
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