10/07/07 22:33:46 xzEENTtK
441の続き。
記憶違いがあったらいけないので見てみました。河原敏明著「美智子妃」。
ページ87~88.先の著者名間違って済みません。
大体陛下は真の親子同居というものの実状はご存じ無かった。
記者会見のご発言でも、それは端的に窺える。
「息子は三才くらいまで、内親王は学校に入学するまでは手元で育てたんであります。
東宮職で子供を育てたのと同じ事だと思います」
その手元というのが、我々のあり方とは大差があった。戦前両陛下の住居は表宮殿の裏にあり、
南から天皇、皇后、皇子棟がE字形に三棟並び、長廊下でつながっていた。
天皇棟から皇子棟までかなり距離があり、天皇が皇子棟に行かれるのは稀、まして
幼いから食事を共にすることもない。
常に両陛下お二人で摂り、子の食事は皇子棟で専任の女子傅育官が上げていた。
当時の側近達に聞いても、無い震央が陛下に会うのは日曜などを除いて朝夕二回だけ、
それも「おもうさま、ご機嫌よう」との挨拶程度でしかなかったという。
三才で別居となった皇太子にはそれさえもなく育った。
後略。
今は、この点で議論しようとは思いませんのでこれまでで。