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「外国報道に見るご成婚」文芸春秋[編]1993年7月25日第1刷
・アメリカ ヴァニティ・フェア 1993年6月号(1/4)
東京の皇室のコンピュータは、名だたる候補者たちの家系をしらみつぶしにチェックしてきたが、
これまで、ナルヒトが少しでも興味を示したお妃候補者は、やんわり断るか、
ほかの男と結婚するか、自殺をほのめかすか、または行く先も告げず国外に脱出してしまった。
思案に暮れたナルヒトは母親のアドバイスを求めることにした。
いつもなら、実の息子と会うにも大袈裟な車のキャラバンとガード、許可が必要だが、
皇居の改築工事にともない、天皇明仁と美智子皇后は当時皇太子と同じアカサカ・パレスに仮住まい中だった。
皇后は皇太子を温かく迎え入れた。
三子のなかでもナルヒトは彼女のお気に入りであった。
最初の子供だからというわけでなく、彼の清廉な気質が「モラル」の輝けるモデルだったためだ。(略)
が、皇后は日本人の多くと同様、誕生以来お付きなしのときはなかった皇太子が、
もしかしたら「ドウテイ」ではないかと考えていた。
部屋から召使いが退出し、皇后と皇太子は二人きりになった。
皇室メンバー間で交わされたという「会話」のうち、信用できるものはごくまれである。(略)
この記事のため秘密を打ち明けてくれた人々は、名前を絶対に出さないことを条件にした。
皇后は話に聞き入っていたが、息子のほうに向きなおると、こう言ったと伝えられる。
「ご自分の感情に従って、小和田雅子と結婚なさい」
小和田雅子は大ぶりの鼻と浅黒い肌の持ち主である。フィリピン人やネパール人と間違えられることがよくあった。
だがショート・スカートをはいて大股で闊歩する二十九歳のマサコは、
「解放された日本女性」のイメージそのものだった。