10/03/05 12:29:38 ISmavEV2
典範改正時、皇后陛下は活発に動いていらした。
寛仁殿下のご発言以降は特に。
一戸建てのみならずマンション住まいの住人にも
要人が集まると聞けば、自らお電話なさってお出まし。
御付きの者を入れるスペースがなくて、次の間に詰め込まれ気の毒だった。
「宮内庁は旧弊、自分たちは改革派」という立場で話された。
「自分がいかに苛められてきたか」と情に訴えかけるものだったから、皆宮内庁に憤慨した。
そういう皇后様シンパでも、親王様ご誕生で変わった。
「今上が御元気になられたのが何より」
「もう次は秋篠宮でいいじゃないか」
しかし宮内庁官僚は早晩の政権交代を睨んでそれどころではなかった。
「秋篠宮と相談」の一言、最後まで揉めに揉めた。
式典委員のあいだではしばらくその話題で持ちきりだった。
今上が土俵際で押し戻した、という者もいた。