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会員誌「選択」3月号 岩井記者
4歳から照宮内親王の「お相手」を務めた岩佐美代子氏の紹介記事
「内親王ものがたり」著者、取材を申し込んで堅く断られたと前号にある。
父親は穂積重遠、今上の皇太子時代、昭和天皇の命により疎開先に赴き、東宮職を新設。
当時の両陛下の信頼ぶりは橋本明「平成の天皇」にも記載あり
「敗戦のときのことを考えますと、全く先の見通しがない。
天皇制だってどうなるかわからない。その中で少年東宮に父がお教え申し上げましたのは
『論語』の精神による全人格的な人格教育ということでございました」
光厳天皇(北朝初代天皇)と今上を引き比べて
「土崩瓦解の中で成長なさいました東宮さんが、今こういう繁栄の中の天皇でいらっしゃるということは
たいへんおめでたいことですけれど、でも日本はこの繁栄の中で、いつの間にか
土崩瓦解に向かっていないとは誰にも断言できないと思います。
天皇様は御先祖にこのような天皇がいらしたということを、御存じではいらっしゃいましょうけれども、
どうぞ今後とも心していただきたいものだと私は密かに思っております」
光厳天皇は南北朝争乱に翻弄され、晩年は戦乱の犠牲者たちの菩提を弔う旅を重ね、
一僧侶として生涯を閉じた。
上記は91年駒澤大学での講演の一部。かなり厳しい。
そのことは岩佐氏が紹介する光厳天皇の歌を見ても察せられる。
「神にいのる我ねぎの事のいささかも我ためならば神とがめたまへ」