10/05/10 12:31:08 qUYTf78h
>>352続き
●「日中友好協会(正統)」
ウィキによると、毛沢東のウルトラ大虐殺「文化大革命」をめぐる評価で同協会が分裂したさいに、文革礼賛を堅持した、
毛沢東主義バリバリのまさしく正統派。
同協会の学生学習訪中団に、赤色革命の志を抱いて加わった、若き日の西村修平。純粋毛沢東主義者。
日本中国友好協会
URLリンク(ja.wikipedia.org)
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・社団法人日本中国友好協会 - 東京都千代田区神田錦町一丁目に本部を置く団体
主流派であり、2が分裂してからは「日中友好協会(正統)」を名乗っていたことがある。
文化大革命の評価をめぐって1966年に分裂した当時文革を礼賛した側である。分裂脱退した当日の
協会理事の参加者の数は主流派の方が多数であったが、非主流派に秘密にかねてから用意してあった
別の事務所に移る準備を整え、集団で会議を中座し出て行った事件の経過があるので「日中脱走派」と反主流派に呼ばれた。
現在では「社団日中」として区別している。当時の機関紙には中国直輸入の文革の立場から暴力革命を賛美する文書が多数掲載された。
一時はその中でも分裂騒ぎがあり、さらに「黒田日中」と「宮崎日中」の二派に分裂し同一名称の機関紙を二派それぞれ発行し、
相互に暴力行為を働いて相互に機関紙で非難しあっているがこれは関係修復して再合同。
連合赤軍などにかかわりのあった人物も出入りしていたという説もある。