09/02/20 02:35:15 33Xvf0Wh
表現規制派が間違った前提をもとに規制を要求すると、表現規制反対派は一通りの反論のあとに「子供に見せないのは賛成だけどさ」などと、暗にそこで納得させようとする一言を付け加え始める。
もともとの「何々のせいで子供が凶悪化」だのなんだのという規制派の言い分にそもそも根拠がなくてもだ。
そうして子供などの反論ができない立場への規制におさまりそうになったところで規制反対派は妥協し始める。
結果、大人だけの身勝手な話し合いで、子供は間違った前提によって自由を次々と奪われっていくことになる。だが子供は必ず質問するものだ、「どうしてして何々はいけないのか」と。
前提に根拠がなければ、大人はこれに答えようがない、せいぜい規制派の振りかざした嘘の理論を振りかざすくらいだろう。
こうしたことは、大人側から何かが奪われるとしか伝えず、子供も自由を奪われるという視点は隠される。
そして話し合いに参加できない子供は、何も知らないまま勝手に大人にこれを決められるのである。
全ては大人による、子供を純粋無垢な天使にしておきたいという身勝手な妄想の押し付けだろう。