09/02/13 16:28:03 eXGYPLCi
>>141より
イスラエルの「ニュー・ヒストリアン」ベニー・モリス----強硬なシオニストである ----は
「パレスチナ人難民問題の起源」について記録している。1947年と1948年、ユダヤ人国家の
創設を阻止しようとして果たせなかったパレスチナ人抵抗者たちと周辺アラブから侵入してきた
軍に対し、ユダヤ人の正規部隊と非正規部隊は、ときに念入りに計算したテロ作戦も
使いながら、60万人から80万人のパレスチナ人老若男女を村々から追放し、
次いで村々を破壊した。この戦争のあと、ユダヤ人たちはパレスチナ人が誰一人
戻ってこないよう武力に訴えた。それから新たにできたユダヤ人国家はパレスチナ人の
土地と財産を即座に没収し、ユダヤ人に分配した。イスラエルに残ったアラブ人たち----
約20パーセントだった----はのちに形式上は法的な平等を手に入れるが、二級市民の立場
----差別撤廃措置と新たな黒人ブルジョアジーの勃興前までの米国北部の黒人の立場と
似ていた----で暮らすことになった。
1967年、イスラエルはエジプトとヨルダンとシリアに先制攻撃を加え、西岸とガザ
----1948年に難民となった人々の多くが住んでいた----、東エルサレム、ゴラン高原、
シナイを占領した(シナイはのちにエジプトに返却された)。これによりさらに約20万人の
パレスチナ人難民が発生し、これらの難民もやはり帰還を阻止された。1973年以来、
イスラエル政府は少しずつ、約40万人のイスラエル人入植者を西岸に、20万人を
東エルサレムに送り込み、約50パーセント(道路をはじめとするインフラを含めて)の
土地を収奪し、水資源を接収し、西岸とガザの経済に対して収奪と飢餓を繰り返すことで
アラブ人人口の大多数が生き延びるために国際的な「援助コミュニティ」に頼らざるを得ない状況を作り上げた。
(続く)