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>>12より
※5 2008年のヒズボラと3月14日勢力の対決は、前者の勝利に終った。この組織の
主な要求が通ったのである。即ち、政府の決定は3分の1の多数であればよく、
大統領の指名はヒズボラの承認を必要とする。更に首相セニオラ(Fuad Al-Siniora)を
首班とする政府は2008年5月6日の決議を撤回した。この決議は、ヒズボラの
私的通信網がレバノンの主権を侵す非合法事業であるとし、これをつくった者の
責任を問うと共に、通信網が設置されたベイルート空港の公安部長シュケイル(Wafiq Shuqair)の
追放を決めていた。ちなみにシュケイルはヒズボラと気脈を通じた人物である。
この決議の採択が引金となってヒズボラと3月14日勢力が衝突したのであった。2008年5月15日付Al-Mustaqbal(レバノン)
ヒズボラのレバノン乗っ取りは、カタールが手を貸した。カタールは2008年5月21日
ドーハ会議を開催し、そこでヒズボラの政治的成果とイラン・シリア・カタール枢軸が固められたのである。
※6 2005年7月25日付URLリンク(www.memritv.org)
※7 2005年11月15日付Sharq, IRNA(イラン)
※8 MEMRI TV Clip No.782, URLリンク(www.memritv.org)
※9 2009年1月31日付IRNA(イラン)
※10 2008年5月29日付Al-Hayat(ロンドン)
(続く)