08/05/30 20:00:35 XoU/swy/
>>160
◆十二国記「風の万里 黎明の空」終章 より 景王陽子の初勅
陽子:『他者に頭を下げさせて、それで己の地位を確認しなければ安心できない者』のことなど、私は知らない。
それよりも、『人に頭を下げるたび壊れていく者のほうが問題』だと私は思う。
人はね、景麒、真実相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときには自然に頭が下がるものだ。
他者に対しては礼をもって接する。そんなことは当たり前のことだし、するもしないも本人の品性の問題で、それ以上のことではないだろうと言っているんだ。
私は、慶の民の誰もに王になってもらいたい。
『地位でもって礼を強要し、他者を踏みにじることに慣れたもの』の末路は、昇紘・呀峰の例を見るまでもなく明らかだろう。
そしてまた、『踏みにじられることを受け入れた人々が辿る道も。』
人は誰の奴隷でもない。そんなことの為に生まれるのじゃない。『他者に虐げられても屈することない心。災厄に襲われても挫けることのない心。不正があれば正すことを恐れず、獣に媚びず。』
『私は慶の民に、そんな不羈の民になって欲しい。己という領土を治める唯一無二の君主に。』
そのためにまず、他者の前で毅然と頭を上げることから始めて欲しい。
諸官は私に慶をどこに導くのかと聞いた。これで答えになるだろうか。
その証として、伏礼を廃す。―これをもって、初勅とする
◆「無邪気に偽善を振りかざす。もはや、お前(検察や官僚)の存在は罪だ」
◆「人間が現実に生きていることと、人間がいかに生きるべきかというのは、はなはだかけ離れており、なすべきことを重視するあまり、今為されていることを軽んずる者は、自らの存続よりもむしろ破滅を望んでいる。」(『君主論』第15章)
◆「ある道を進んで繁栄を味わった者は、どうしてもその道から離れる気になれない。」(『君主論』第25章)