09/12/17 06:27:30 0
若い頃、酒井和歌子が出演している映画を見た。それから酒井和歌子のファン
になった。
武田鉄也も酒井和歌子の熱烈なファンだったらしい、ファンクラブにも入ってい
たとか云っていた。酒井和歌子も武田鉄也も同じ1949年生まれだ。
題名は忘れたが、確か黒沢年男が共演していた映画だった。
そして次に酒井和歌子の映画を見たのは、映画「いのちぼうにふろう」だった。
この映画「いのちぼうにふろう」は、山本周五郎の深川安楽亭という小説の映画
化だった。俺はそれから山本周五郎の小説を読みあさった。
2chで山本周五郎のスレッドがあったので書き込みをしたが、1949年生まれだ
と気付かれるのではないかと用心しながら書き込んだ。
60歳の親父の書き込みだと知られたくない。
考えてみたら、昭和24年生まれのスレッドなら何の遠慮もいらない。
同じ24年生まれだから、恥ずかしい事でも何でもないわけだ。
だが、24年生まれの話題は結局何なんだろうか。そんな事を考える今日この頃
だ。石川達三集と、石坂洋次郎集を買った、2冊で105円だった、ブックオフの
店員が何を勘違いしたのか、210円のところを105円だった。
昔石川達三の「幸福の限界」を 読んだことがあった、それから石川達三の小説
「蒼茫」も読んだ。石川達三集の中に「蒼茫」が入っていた。蒼茫を読み返した
が、文書表現が非常に難しい。よくこんな文章を読んだものだと今更ながら関心
をした。パソコンで文章表現をするようになって感じるのは、相手に伝わる文章
表現をしようと思うようになった。だから、文章表現は普通に会話するような文章
でいいのではないかと思う。難しい漢字を使ったり、意味不明の文章で難しく表
現する必要はない、難しく表現する事が文学だと言うような風習がある。いけな
いことだ。
ちなみに、俺が打つ文章は内容はともかく、喋る感覚で打っている。
喋る感覚のスピードで打てる。読書は喋る感覚の本が良い。村上春樹は多分喋
る感覚の文章ではないかと思う。ちなみに村上春樹も1949年生まれだ。
それから、人の文章にケチを付けるつもりは無いが、読書は文章作成に大いに
役立つ。読書をしていれば、文章表現が上手くなる。