09/07/25 07:16:06
ちょっと考えてみた。
立花氏の家祖は貞載。大友貞宗の子孫なのでこの時点での通字候補は「貞」か「載」。
ところが立花の家督は弟宗匡に移り「宗」も通字候補に。
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大友本宗の影響で通字の概念が欠落した「西大友」として「親」を大友氏に代わり掲げる。
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義鑑から一字拝領した当主が「鑑載」。この時点では「載」が通字
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鑑載没落、道雪は立花を名乗らない、宗茂の諱はグチャグチャで江戸時代を迎える。
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・家祖は誰なんだろうと悩む。
├将軍家の恩恵を忘れない初期派(忠茂)
├宗茂ってすげえんだぜ派(鑑虎・茂虎)
├本当の家祖は直次なんだよ派(三池藩)←「種」は大友氏族じゃねえぞというわけで除外。
└鑑載も鑑連もいるし、なし崩しで一番多いから鑑の字貰っちゃえ派(主流)
こうして「鑑」が通字になった説。