08/08/31 11:23:09 C2+PW6W4
>>202
私は護衛艦艇史は所有していませんので、崎戸の写真がどういうものかは判りませんが、
「解体着手前の崎戸」の写真にはそのような構造物はありません。
四阪の写真は公試時のものとして書いています。
まず生名の写真を見てください。
この構造物のすぼまっている部分の両脇には、何か箱状のものがあります。
公式図には「砲側○○筐」とあります。
(○は文字がつぶれて読み取れませんが、たぶん弾薬箱ではないかと思います)
四阪の写真では、この部分が暗いためシルエット状に
問題の構造物のように見えているだけだと思います。
「着底した伊唐」の写真ではこの部分がはっきりと判りますし、宇久・志賀の図面にもありません。
(崎戸と伊唐の写真はベストセラーズ社の日本海軍全艦艇史にあります)
日本海軍艦艇写真集の図面は、たぶん初出は丸スペシャルNo.28(昭和54年発行)だと思います。
公式図が出版物で公開されていない現在、一番流用しやすい図面です。
しかし、ほとんど資料が無い時代の作図ですから、あてにはしない方が良いかと。
>>199
フォローありがとうございます。
某所にアップされている塗装図と公式図の比較については、もう少し後で書きます。