08/08/30 18:14:17 TZ6tefU2
人に貸していた「世界の艦船・日本海軍護衛艦史」がようやく戻ってきまして、「四阪」の詳細な写真を見ることが出来ました。
その写真から分かったことで、製作の役に立ちそうなことを書いておきます。
◎四阪の後部舷窓には「屁」wの字型の「庇」wがあった。(その他にも不鮮明ながら、「生名」「神津」にもついているように見える)
と、いう訳で、一部の艦には庇がついていたことが確認できたので、個別の艦名に拘らず、標準的な「鵜来型」を作りたい人は、無理に庇を削り取る必要はなさそう。
◎後部主砲のグレーチングは無塗装の木であることが確認できたのでこの部分はデッキタンで塗るのが良い。
◎後期建造艦(19年12月以降?)は竣工時から艦橋両舷の機銃台左右にブルワークが設置されている。後に折りたたみ部分(機銃正面側)にも簡易的に鉄板(木板?)が追加された。
◎後部砲座周辺の甲板に横線がいくつも見えるので、少なくとも19年12月建造の艦まではリノリウムが張ってあったと推察される。
(海防艦のリノリウム押さえ金具は、真鍮ではなく鉄という資料もある。)
◎甲板上の構造物間には伝声管と思われるホース状のものが何本か渡してある。
リアル感を出したい人は再現してみると良いカモ。
◎前部・後部とも、主砲周辺のハンドレールには金網が張ってある。(薬莢落下防止のためか?)
◎多くの艦に、後部の主砲にも波除の上に射角制限器がある。
◎「保高」には後部主砲にも防楯があるが、形状は不明。
※考証に拘りすぎて、面倒になったら、思い切って全ての武装を撤去し、賠償艦として引渡しされる時の姿にしてしまうのも良いかも。鮮明な写真が多いし、工数が減らせるぞ!!(爆)
※前回貼った絵は稚拙な誤字があった上に、更なる修正箇所が出てきたので削除します。