10/03/13 01:17:16 2OXdLhLC
>>941
>>928で「自分がしているのは作品としての、「意味」「意義」の話」と言いながら
「劇場とDVD(BD)との比較」「劇場で観る意味」と話をすり替えたらアカン。
「(劇場)作品としての意義・意味」と「劇場で観る意味」というのはまったくの別物
さらに「意味」と「意義」という言葉もまったくの別物だぞ。
「意義」というのは作り手側の矜持。観る側に何を見せたいか。マクロスFで言えば
大画面、大音響での演出といったところだろうし、河森もそれに近いことを言っている。
つまりは派手なドンパチ、歌を使った効果的な演出は劇場版でこそ映える、これがすなわち
劇場でやる「意義」。ただ、ベクトルはあくまで作り手側→観る側。
一方の「意味」というのは、主に観る側の主観的要素。「こんな話わざわざ映画にまでしてやる意味ないやん」
「こういうことがやりたいから、わざわざ映画化したのね」……そういった主観的要素に加えて、観る側から離れる部分もあるが
興行的なものも含めた結果もまた、その範疇に加えられるだろう。「こんな興行成績だったら、わざわざ映画化までした意味はなかったね」
といった感じに。
当然、劇場でやる意義が希薄でも成立する映画はゴマンとあるし(今回のハルヒもそれに近いだろう)、逆に
いくら作り手側が意義を強調しても、観る側に何も伝わらない、つまり「意味のない映画」というのも
これまたゴマンと存在する。
勿論大半の人間はこんなこと他人に言われるまでもなく理解していることだし、映画の本質とは何も関係がないことも
重々承知しているのに、そういったところに目を向けずに「劇場で観る意味」を熱く論じても
「ふーん。だから何」以外の感想は持って貰えないよ。このスレでもそうでしょ。