09/06/25 18:39:58 E5WNSbBc
思考実験
「幼児虐待ゲーム」なるものが存在したとする。
プレーヤーは子育てに疲れた女性層(に多い)とする。
彼女らは、このゲームで「赤ん坊の育児を放棄して面白半分で虐待し暴行し殺害」する。
無論フィクションであり、彼女らは現実の育児ではそのような事は決してしない。
しかしある日、外国の議会でそのゲームが問題視され、批判を浴びるようになる。
彼女らは、このような幼児虐待ゲームがあるからこそ、孤独な主婦の育児のストレスが解消され、現実における幼児虐待の抑止に繋がり、円滑な社会生活が営まれると反論し、規制に反対した。
彼女らはこのような幼児虐待ゲームが規制されれば、現実の自分の赤ん坊を虐待して殺害してしまう恐れがあるとも主張した。
またこのような幼児虐待描写はゲームに限らず、ドラマや映画にも多いと批判し、だったらそれらの作品も取り締まるべきとした。
彼女らは、現実はそんなピュアーなものではなく、赤ん坊はいつでも天使と言う訳でもなく、育児の理想と現実には大きな隔たりがあるとして、虚構の世界でくらいならば日ごろの育児ストレス解消のために、ある程度の幼児虐待や殺害は許容されるべきだとも反論した。
しかし海外の人権団体は「このようなゲームの存在は幼児の人権が侵害するものだ。」として、日本政府に規制を強く求め、ついに業界の自主規制と言う流れで取り合えず決着した。
思考実験終わり
・育児ストレスと性的欲求不満を同列に語るのは甚だ不適切である。
・しかし非倫理的な行為を正当化するという観点では、性暴力ゲームも幼児虐待ゲーム両者は構造的には同じである。
・このようなゲームは批判されるのは当然ではある。
・しかし性欲も育児も、綺麗ごとだけでは片付けられないと言う点では同じである。
思考実験からの再思考
・創作物の描写にも、ある程度・ある範囲・ある観点からの「犯すべからずの尊重されるべき人権」を認める立場でなければ、このようなゲームを真っ向から堂々と批判することは出来ないのではないか?
・それとも「創作物の描写」(であり、現実には存在しない人間のお話なの)だから、性暴力も幼児虐待も「人間生活の必要悪」として許容してもいいのか?
・それを必要悪とするのが擁護派一部であり、それを断罪するのが規制派であるのではないのか?