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◇思春期の健康的現象
パソコンの記録媒体は、いまやDVDが普通のものとなってしまった。フロッピーディスクどころか
CD-ROMさえ、時代遅れの気配だ。DVDの次世代競争で、ブルーレイが勝利したという
ニュースも、いまだ記憶に新しい。
映像の記録でも変わりない。DVD以前には、VHS形式のビデオが一般に普及していた。とりわけ
1980年代から90年代にかけて、家庭ではVHSのビデオを使っていたはず。ベータマックスに
打ち勝ち、当時の基本的な規格となっていたのだ。
そんな時代を反映したのが、桂正和の恋愛マンガ「電影少女」である。「電影」とは中国語で映画の
こと。文字どおり、テレビ画面から飛び出してきた少女との恋の物語である。「週刊少年ジャンプ」に、
1989年から92年にかけて連載されたマンガだ。
物語は、高校生の弄内洋太(もてうちようた)のふとした行動に始まる。たまたまビデオのレンタル
ショップで借りたビデオ、その中から、ひとりの少女が抜け出し、現実の世界にやって来る。
その少女「天野あい」は、ソフトのなかに存在していたフィクションの少女なのである。
あいは、男まさりでエロチックな美少女。笑顔もコケティッシュだが、服装もウブな男の子を挑発する
のに十分刺激的だ。洋太はあいに恋をする。その一方で洋太は、クラスメートの美少女もえみに
交際を申しこむ。あい自身も、もえみと洋太の恋を祝福しながら、一方で嫉妬(しっと)に身を焦がす。
そうした心理的葛藤(かっとう)が、この恋愛マンガの見せ場となっている。
幻想の少女への恋。これは、性の倒錯だろうか。一時マスコミは、二次元コンプレックスなる言葉で、
青年期のそうした性意識を揶揄(やゆ)してみせた。
ときには血なまぐさい事件とリンクさせ、オタクが好む傾向だと差別視したりした。しかし、これは事実に
反する。幻想の異性への恋は倒錯ではない。平面の女性への愛着は、むしろ思春期の健康な現象
とみなすべきだろう。
ふりかえれば、女性への妄想の実体化というテーマは、ギリシャ神話のピグマリオンの逸話にまで
さかのぼる。マンガで言えば、ダッチワイフに恋する少年を描いた、故手塚治虫の「やけっぱちのマリア」
を思い起こさせる。マンガは“引用と加工の文化”であるというのが筆者の持論だ。「電影少女」も、
ひょっとしたら、そうした物語を下敷きにしているのかもしれない。
今も多くのあいちゃんが、ソフトのなかに住む。かつて駅前には、必ずと言っていいほど貸本屋があった。
それが今は、ビデオやDVDのレンタルショップに、さま変わりしている。
時代は変わっても、商売の形式はそれほど変わらないということだろうか。
(たけうち・おさむ=同志社大教授)
マンガの国の「衣食住」 毎日jp
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