08/12/14 09:47:02
>>411の答え。
特にどれかの道に囚われることなく達観できるのが最善。
天道ですら天人五衰といって、長寿を全うした天人が死体となり
花枯れるごとく腐り果てていく悲劇から逃れられえない。
故に六道輪廻からの解脱となる涅槃、二度と転生の身を持たぬことが望ましい。
もっとも、地獄・餓鬼・畜生の三悪趣が教化によって救いようがないのに対し、
修羅・人・天はまだ教化によって救いようがある。
ちょうど現実の犯罪に手を出した人間と、内心の悪意だけに
踏み止まっている人間程度の違い。現実の罰を受けるか受けぬか。
地獄・煉獄・天国を描写したつもりが、地獄・餓鬼・畜生の三悪趣しか
描けていない文学作品もあり、真の天道や人道の利害も知らぬままに
実際には畜生道でしかない偽の天国を夢見る輩も多い。
せめて己れの認識を三悪趣から六道まで拡大することが望まれるが、
三悪趣の内側だけに囚われ続け、しかも六道に拡大されたからといって
天道が最高だとも限らないとなれば、六道への認識だけでも相当な困難となる。
神道と仏教の場合のような本地垂迹の融通が利かない
確信的に教義が片輪である化外の教え。全くの別物だったほうがどれだけマシだったか。