09/01/15 00:03:51 F5jwUcDV
狭い球場と飛ぶボールのおかげでパワー不足が露呈せずに済んだ
もし当時の球場がもっと国際基準並みに広ければ、バース・ブーマーはもちろん、清原や秋山にも千切られてたはず
それに加え、当時のパリーグのロッテと言うことで
無観客、一年中消化試合でプレッシャーがなくエゴイスチックな個人数字稼ぎに没頭できた
1985年 ロッテ 130試合 460打数 打率3割6分7厘 52本 146打点
1986年 ロッテ 123試合 417打数 打率3割6分0厘 50本 116打点
この2年の数字は一見すごいが上記のような事情の恩恵によるもの
実際、中日に移籍と同時に成績は普通の四番打者程度にガタ落ちしている
1987年 中日 125試合 432打数 打率3割3分1厘 28本 85打点
1988年 中日 130試合 450打数 打率2割9分3厘 32本 95打点
中日球場も川崎よりはよほどマシだが広島市民並みの箱庭球場
これがナゴヤドームならさらに悲惨なことになってたはず・・・
しかもチームが下位なのをいいことに個人数字を稼いでいた証拠に
チームが優勝したシーズンは平凡な数字しか残していない
一部では落合は日本史上ナンバーワンの打者と言う者もいるが
実は王はもちろん、松井秀、いや松中や掛布よりも下の選手なんじゃないか?
今で言う横浜の村田をさらに打算的にした打者像が浮かび上がる