07/11/06 22:45:49 Nmx/N4wd
【日本球界の永久欠番に関するFAQ等】 よく出るものをまとめ
1.金田正一の背番号34番は読売ジャイアンツで永久欠番?
金田正一は、国鉄スワローズでも背番号34を付けていたが、欠番ではない。巨人での永久欠番は、日本人として初めての400勝を達成したことを記念してのものといわれている。国鉄でも欠番となる余地はあったが、1965年に球団が産経新聞社に身売りしたと言う事実が大きい。
10年選手は球団が移籍選手を指名できる順番が決まっており、入団の条件ではない。後年、金田自身が述懐している。
2.吉田義男の背番号23番はなぜ引退18年後?
吉田義男が1969年に現役を引退した際、背番号23は、この番号に相応しい守備力をもった選手が入団するまで一時的に欠番となった。
しかし、吉田と比較できるほどの名手は現われず、監督として日本シリーズ優勝を経験した後、1987年に正式に永久欠番に指定された。
3.福本豊の背番号7番は?
1984年に通算盗塁の世界記録を達成した際に永久欠番となることが決定していたが、永久欠番にはなっていない。
当時、現役だったために本人が固辞したと言うことと、その後阪急ブレーブスが身売りしたことの要因が重なっている。
オリックスで打撃コーチ・二軍監督を務めた時も引き続き背番号7を着用する。
退団後、オリックス・ブルーウェーブでは2000年までの10年間、田口壮、小川博文、イチローの3名が背番号7を打診されるも全て固辞。
欠番となっていたが、2001年に進藤達哉が福本公認の下、背番号7を着用し、欠番ではなくなった。
4.永久欠番を辞退した選手っている?
大杉勝男 野村謙二郎
なお、高木守道、有藤道世、掛布雅之という情報も一部ではあるが、定かではない。
5.失効・消滅した永久欠番について
・西鉄ライオンズ大下弘の背番号3番は、1960年3月1日、引退を機に制定も、1968年、東映フライヤーズ監督就任の為に自ら返上した。
・西鉄ライオンズの永久欠番6(中西太)、永久欠番24(稲尾和久)は、福岡野球株式会社への球団身売りの為に失効した。
当時、黒い霧事件などによる球団内部の混乱もあり、身売り後の措置について取り決めを行わなかった為に、引き継がれなかった。
・大阪近鉄バファローズの永久欠番1(鈴木啓示)は、オリックス・ブルーウェーブとの合併による球団消滅により、消滅した。
5.永久欠番を作らない球団ってあるの?
作らないと公式に表明した球団はプロ野球70年の歴史の中で1球団たりともありません。
「作らない方針」というレスはすべて偽りです。
6.「準永久欠番」って?
背番号を使用するスポーツの団体競技において、永久欠番に準ずる形で、欠番として顕彰している番号。現在欠番で無いものも含まれます。
明確な定義は不明の部分もあるが、次のいずれかに該当する番号。
・着用の際には本人の許可制である番号。
・後任の選手は「生え抜き」のみ着用可能であると決定した番号。
・各チームが「永久欠番に準ずる」として欠番を決定した番号。