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落合と原のリアルタイム比較、90年代編
1991
落合、オフに舌禍事件で星野批判を展開。一方で今年こそ3冠を、と意気込みは激しく、
3部門ともトップレベルの文句なしの成績も、終盤の欠場が響き打点は広沢、さらに首位打者も
最後の最後に古田と、揃ってヤクルト勢に逆転され、本塁打の一冠に終わる。
一方、原は申し訳ないがまったく印象ありません。成績的にも相変わらずの平凡な数字ですな。
この頃の巨人打線は駒田とか岡崎らのが目立ってたと思う。実際に4番も何回か打ったしな。
つーか、第2次藤田時代の原は印象薄かった。藤田も近藤ヘッドももう原を見切ってた感があるね。
1992
第2次藤田時代になって年々存在感を薄めてきた原だが、更に意外なところから4番を奪われる危機が訪れるとは...
その名は今話題のデーブ大久保w。しかし、それは笑い事ではなくマジだった。
前年に続き調子の上がらない巨人へのカンフル剤として西武から移籍のデーブが移籍早々本塁打を連発しまくる。
しかも原と違って(事実)チャンスで劇的な一発を連発する。一時的にもマスコミのヒーローとなり4番にも座る。
こんな状態に発奮したのか、デーブがマークされた後半には原も意地を見せ、大野豊からのサヨナラホーマーや
神宮球場でのホームラン後バット投げなどでようやく存在感を見せる。が、これは原の最後の輝きだった...
一方、落合は星野退団もなぜか大幅に成績を落とす。打率は3割にも届かず、ホムランは20本台と低迷。
39歳、いよいよ年か...という感じだった。
1993
世間は巨人軍w長嶋就任で大騒ぎの中、原はシャレにならない不振に陥る。打率.229、11HRてさすがにシャレにならんな。
長嶋と相性悪かったのか?これでは当然のごとく4番失格。救いはこの年は駒田など他打者も不振だったことぐらいか。
落合は一応中日が優勝争いしているのに全く目立たず、成績も前年よりさらに落とす有様。
この2年の不振はその後を考えると単なる年齢によるものと思えず不思議だ。
そしてそのオフ、ドラフト以来の相思相愛と本人が言う長嶋巨人へFA移籍。いよいよ原と同球団にまみえることとなる...。
ちなみに移籍前後の落合の発言は忘れられない。
「巨人の4番が駄目だったから長嶋監督は勝てなかった。ハッキリ言って原辰徳!」。
まあ、この年はハッキリ言ってそうだったけどなw。
1994
この年は結局のところ10.8に尽きる。
勝てば優勝という試合で当時最強の巨人キラー今中から先制ホーマー、さらに決勝タイムリーの価値は計り知れない。
まさかと思わされた。例え通年の成績は平凡でも落合という人間の恐ろしさを知らしめるに十分だったと言えよう。
原も実は全盛期の半分ぐらいの試合数で数字的にはよくやった方ではあるが。さすがに意地もあったのだろう。
しかし時すでに遅し。少なくとも長嶋の脳内では既に「落合>>(無限大)>>原」だったのは間違いない。
加えて、次世代の4番ゴジラを育てるという意味でも落合の存在は原に比べてはるかに有意義だったのでは。
長嶋日本一フィーバーと合わせ、まさしく原時代の終焉となった1年となった感あり。
一方、落合は完全に中日を敵に回したと思ったが、数年後監督になるとはまさしく想定外だったなw
1995
原、前年でもう巨人に居場所はないと悟ったのか、グランドフィナーレw。
エンディングは試合後挨拶もあったりして、それなりの扱いだったと記憶している。
ま、その数年後には早速ヘッドとして迎えられてるしな。
落合は意外なことに3割をマーク。42歳でその成績とは恐れ入る。
しかし、実はその中身は主に中日投手陣を食い物にしたものだと言われる(対戦打率5割超とかw)
ま、前年のアレでトラウマ残ってるわな。
1996
落合、43歳にして3割20本をマークもオフに清原FAの騒動もあり巨人退団。ゴジラ覚醒も背景にあるか。
1997,1998
落合ハムに移籍も何もできず引退。40歳超えのリーグ移籍は厳しかったか。もしヤクルトならどうだったか...
記憶に残っているのは、オリックス野手の嘉瀬が投手で出てきた時にバックスクリーンに打ち返しただけだったw