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ランディ・バースのwikipediaより抜粋
1985年には掛布雅之、岡田彰布と強力クリーンナップを形成。
同年4月17日の対巨人戦、槙原寛己からのバックスクリーン3連発は有名だが、
この一本がバースのこの年の第1号本塁打である。
この年は打率.350、54本塁打、134打点の成績を残して三冠王に輝き、
阪神の21年ぶりのリーグ優勝・日本一に大きく貢献した。
また、セ・リーグ初の外国人選手による本塁打王となった。
この年は王貞治のシーズン55本塁打(1964年)の記録更新が注目されたが、
54本目を打った段階で残り試合数が2試合になる。いずれも巨人戦で、
その監督は王貞治。最初の試合で先発した江川卓は3打席ストライクで勝負し
1安打に抑えるも、そのほかの投手はバットの届く範囲には一球たりとも投げなかった
(事実上の敬遠攻め)。結局記録達成には至らず、巨人のとった行動に多くの野球ファンは首をかしげた。
後にタフィ・ローズとアレックス・カブレラがこの記録に挑んだ際にも、
王貞治率いる福岡ダイエーホークスが同様の措置をとり、物議を醸している。
翌日の報知新聞には、「バース記録達成失敗」という見出しと、「自分はバースに敬遠を指示しなかった」
という王のコメントが掲載された。当時、巨人に在籍した外国人投手キース・カムストックは、
自らの著書でこのことを振り返り、「バースにストライクを投げると、1球につき罰金100万円が課せられていた」と記している。
当時バースは、最終戦を前に「記録達成は無理だろう、私はガイジン(外人)だから」と語っていた。
だが皮肉なことに、この敬遠攻めの影響でバースの出塁率が上昇し、
それまで出塁率トップであった吉村禎章を抜いて、バースは最高出塁率のタイトルも獲得することになる
(巨人ベンチはこの記録のことを忘れていたという)。
結果的にバースは当時表彰タイトルであった最多勝利打点と併せ、
打撃部門5冠に輝いた。