09/09/21 01:18:48 a2AXGJ6b
80年代バブル期に旧六最下位の名が先、もとい、長崎医に入った俺様が来ましたよ。
当時は二次が英数理2だったが、医学部専用問題は数学2問だったか、それのみ。他は
全学部共通問題で、程度としてはセンター試験に毛が生えた程度。理科なんて医学部
合格者平均は満点近かったと思う。英語も確か9割以上。数学は難問の年で、俺は5割
しか出来なかった。センターのボーダーは685~690/800に対して、俺は709/800。二次
は英語ほぼ満点、物化ともに満点、数学約5割。一次二次の比率は6:4。合格席次は
30番くらいだった。
受験時代はシャレで東大・京大の実戦やらオープンも全部受けたが、理I/IIでB~C、
京理でも同じ、京工は学科によってはAが出る程度で、理Iや京理には受かる気が全く
しなかった。そもそも、二次の難易度が比較にならないでしょ。
当時の感覚で言えば、地方医学部(ウチが標準難易度だと思う)が理Iより難関なんて、
全く有り得ない話。実際に合格したメンツの出来具合で言えば、理Iやら京理に行く奴は、
地帝医と同程度か、むしろ上の連中だった。理Iより明らかに上と思われるのは、理III
京医と阪医に加えて、辛うじて医科歯科医くらいだったと思う。他地帝医で理Iと同難度、
地方国医はせいぜい京工(東工よりは上だと思うw)程度というのは、数字のマジックを
解きほぐして、実際の進学者の出来具合を比べてみれば、昔も今も変わりないんじゃないか?