10/06/22 10:54:08 rp6hPPvX
>>683
解釈が私とは、大きく違っています。一般的な知識から解釈されておられるようです。
仏教は、「自分の心の苦」から開放を追求して生まれた思想を、
自だけではなく他に広げ発展した思想と思われます。
キリスト教は、「不安」「恐怖」「闘争」からの開放は
神との契約によって初めてもたらされる。それが「愛」というものである。
そのため、「心の内面的な苦痛」への考察ではなく
人間関係によって生まれる「争いの苦痛」がその中心課題になっているように思えます。
キリスト教の聖書にも「空」や「無」に関する記載はありますが
あまり重視されてはいません。
このため、
キリスト教は自他における「他との関係と意識」を重視したものになっていると思われます。
また、「自分を捨てなさい」という自己の苦から開放という考え方も
キリスト教の「愛」から感しることはできません。
「慈悲」とうのは、自己の中で「苦痛から逃避しようとしてもできない心の変化」を「やさしく見守りつつむ」
仏心」のことであるように思えます。