10/05/30 16:11:45 e6qhnl/b
>>457
実際には善悪はないよ。それと集団に対してマイナスになるようなこととは言っても、
その集団が現時点ではマイナスだと思い込んでいるだけということもある。だから
集団によって善悪が違う。殺人とか盗みとか基本部分はだいたい共通するけどね。
それは同じように人間として生きているからだいたい同じになる。しかし高度なものに
なるとその集団によって変わってくる。例えば北朝鮮では政治的な批判は悪とされて
いて警察に捕まり有罪になりだいたいは死ぬまで強制労働か死刑だ。しかし日本では
政治批判は自由にいくらでもやり放題。新聞作って1面で思い切り大きい文字で現政権の
批判を書いて配ったって捕まることがないだけでなく悪と認識されることもない。
(まあ右翼みたいに街宣車で騒げばうるさいとは思われるだろうけどねw)。
排除というのは死またはそれに近付ける行為だ。但し誤解によってそれが行われる
こともあるので(つまり冤罪)排除された側が必ずしもその集団に対してマイナスに
なることをしたのかどうかは分からないし、現時点で「悪」とされることを本当にしたの
であってもその集団の価値観が変われば「悪」とされなくなるかも知れない。
日本でも戦前は悪だったものが戦後は悪でなくなったものがある。
世の中を出るというのは自分が世の中と思っているものの中から出て世の中への
依存を断つということで、これは人によって規模が違う。でもだいたいは育った家や
街を出てそれまでの人間関係を切って完全に自律してしまえばそれまでだと思う。
肝心なのはそれまでの人間関係を切ることの方で物理的に家を出るかどうかでは
ないのだが、出た方が見た目が変わるので分かりやすくてやりやすい。出家する
坊さんというのは元々そんな感じだ。世間を捨てて出て行くというのを物理的に
やっているということ。もちろん肝心なのは精神的なものの方で、幾ら山奥に入って
人と断絶したとしても世間と繋がる心を持ったままでは意味がない。「このようにして
いる自分を世間はどう思うだろうか。あの人はどう思うだろうか。」なんてことを妄想
しているならば意味がない。そういう妄想に支配されていることになるからね。
それだと自由になっていない。