09/07/22 04:49:36 4gMGVz3x
死にたいと声高らかに叫ぶ者が、このスレに書き込んだ時点で死ぬつもりは無いのだろう。
なんせ、死人にクチナシ、ここに死にたい死のうと書き込んでいる者は、昨日も同じ事を口にして、結局死ななかった者だ。
だというのに、何故か書き込みは絶えない、死にたい者がこのスレに書き込む理由など無いはずなのに。
つまりは、書き込む奴には何か理由があるのだ、ならばその理由とはなんだ、引き止めて欲しいのか、話を聞いて欲しいのか。
引き止めて、話をして聞いて、それでどうにかなる問題ならば、とっくに解決している。
ならば理由とは、書き込む目的とは何だ、書き込むという行動の裏に、何か目的があるはずなのだ。
自殺を考える若者らの中に、自分は自らの不幸や悩みに陶酔しきっていないと、ハッキリ言える者がどれだけ居るのだろうか。
BUMP OF CHICKENをテーマにBGMに、自己嫌悪や憂鬱を並べ立てて悦に浸っていないと、言いきれるのだろうか。
他人の慰みを貰う為の、道具と化していないと、どれだけの者が自信を持って言えるのだろうか。
本当に悩みや問題を解決させたいと考え行動している者が、どれだけ居るのだろうか。
それこそ、死にたいと願う気持ちを行動に起こす者がどれほど居るのだろうか。
いや、解決させる行動も、死への行動も、どちらも取らない、取れない、そんな中途半端な道を闊歩する者が大半を占めているのではないか。
それは状況がそうさせているのだろうか、己の弱さがそうさせているのだろうか、何がそうさせているのだろうか。
不幸に、可哀想に、哀れに醜く、そうさせているのは、誰よりも自分自身で、自分一人だけなのではないのか。