09/03/26 14:20:34 066nNo6P
>>1
伝わらないかもしれないのを覚悟して独り言。
人間、行動したことはどうしても悪の要素がある。
「殴る」というのは、できればやられたくないだろう。
しかし、やりたいことはある。ならば、殴りたくなれば殴っていいのか?
ここが難しくて、「正義とは何だ」「善悪ってどこで分けたらいいんだ」となるのだろう。
自分がやったことはいいことなのか、悪いことなのか。
悪いとわかりきっているところにいていいのだろうか。悩むだろう。
「間違っているとわかりきっている人」の意見にうなずかないといけないときもあるだろうね。
それは、正しく生きようとしている証拠だ。正しく生きようとすると、手段を選ばないといけないから、細かい矛盾が生じる。
悪を許すと、手段を選ばなくてもいい。しかし、自分が殺される可能性が出てくる。
私の知り合いに「仕事が効率的ならいいじゃないか」という人がいる。彼は裏を返すと、
人の指示に従えないのだ。自分の考えた効率のいいことだけが正しいと思っている。
その理由は、「現実に仕事が速いじゃないか」というのだ。彼の理論は、全ての上司に勝利できる理論だ。
こういう人間の口車に乗せられないようにするには、心理の理解と、彼を成長させる意識が必要だ。
普通の従業員には、確実に勝てる理論を、彼は持っている。ここに気がつかないと、彼(私の知り合い)は
100%、社長であってもいいくるめて、自分のやり方を実現させるであろう。
これを許すか?
従うだけでは、悪を一緒に行うことになる。従うしかないなら、悪を最小限度に止めるようにするのだ。
それが、悪徳企業の中にある、唯一の希望、良心である。
そうでもしないと、他人には企業の施す悪がわからない。わかるのは、従業員の一人で、
正気が残っているあなただけである。