08/11/17 23:10:31 YsA+Yyjb
>「過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる」(リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー)
冷静に考えればこれほど奇妙な言葉はない。
>だが、もし、これを発した人や、これを聴いて感銘を受けた人たちが、
人間として正常な知性を欠いていたとしたらどうだろう。
たとえば、
「我々は『過去』に対して目を閉ざしておらず、だから『未来』が見えている」
このような妄想にとりつかれていたら。
>則ち、連中にとっての「過去」とは、
自らにとって都合の良い「未来」を他人におしつけるための方便なのである。
ここで言う「過去」認識の共有とは、実際には、特定の社会工学的な共同妄想、
つまり「未来」のおしつけに他ならない。
「過去」認識を共有しろといいながら、
実際にやっているのは連中に都合の良い「未来」のおしつけなのである。
>したがって、冒頭の一文は、少々補正して、
「(我々の示す)過去に眼を閉ざす者は、(我々の示す)未来に対してもやはり盲目となる」
と、すべきである。
もちろん連中の示すような「未来に対して」は「盲目」のままでもいっこうにかまわない。
もともと人間は「未来に対して」「盲目」な存在なのである。
私には「未来」が見える、などという人間は基本的にアヤシイ。